2018年10月15日放送の『激レアさんを連れてきた。』のまとめです。
本当はすごく大人しい性格なのにパリピにムリヤリ押し付けられてしまい、日本最大級のハロウィーンパレードを作った結果、街にパリピを増殖させた人、ドキさん(土岐一利さん)です。
ハロウィーンの街中にパリピを増殖させた人。
それが、ドキさん!
今回は季節ものなのかハロウィーンパレードを作った人ということで、そんなに期待せず見ましたが、めちゃくちゃ面白かったです。
◆ゲスト:佐藤健さん、夏菜さん
▽目次です▽
- 若林正恭と弘中綾香アナのオープニング
- ドキさんはカワサキハロウィーンを作った人
- 映画と音楽好きな地味な陰キャラだったというドキさん
- 始まりは社長からのミッション
- こうしてハロウィーンイベントの企画になった
- 当時の日本では「ハロウィーンなにそれ?」だった
- ドキさん、警察の許可取りに奮闘!
- いよいよ初のハロウィーンパレードが開催!
- その後のハロウィーンパレードの推移
- 激レアお仕事カタログ 四つ葉アーティスト・生澤愛子さん
若林正恭と弘中綾香アナのオープニング
弘中 10月もなかばに入りまして、この季節はスポーツの秋なんて言いますけど、若林さんはゴルフに興じてらっしゃると?
若林 興じてって(笑)。やってますよ!
弘中 はい。
若林 ゴルフは最高じゃないですか!現地集合、現地解散。ゴルフの話しかしないんですよ、おじさんって。
弘中 そうなんですか。
若林 だから本音を話さなくていいし、最高ですよ!
弘中 実はですね、わたくし、大学時代、ゴルフサークルでした。
若林 え!?そうなの?
弘中 1年間くらいですけど。
若林 なんで辞めたの、1年で?
弘中 なんか先輩が怖くて辞めました。
僕はゴルフやりませんけど、ゴルフの魅力が「本音を話さなくていい」というのは面白かったです。
ドキさんはカワサキハロウィーンを作った人
弘中アナがパリピの説明で、「ことあるごとに騒いで、盛り上がるのが好きな皆さん」と評してたのが面白かったです。
パリピの方々が参加する最大級のイベントが10月末のハロウィーンです。
その先駆けとなったのが20年前のカワサキハロウィーンで、今回のドキさんはそのカワサキハロウィーンを作った人なのです。
見た感じ、普通のオジサンでした。
全然パリピな人ではなかったのです。
優しそうな人の良さそうなオジサンでした。
映画と音楽好きな地味な陰キャラだったというドキさん
上記の第一印象のように、ドキさん自身は今も昔も人前が苦な方だそうです。
昔から、家で一人、音楽と映画を鑑賞するのが好きで、好きな音楽は三味線!
三味線という渋い趣味をお持ちのドキさんからは、パリピの匂いは全くしませんでした。
三味線は弾くこともできるそうです。
ドキさんの性格は、頼み事は全く断れない人なんだとか。
なんとなく、人生のストーリーが見え始めます。
趣味が映画と音楽だったドキさんは、株式会社チッタエンタテイメントに入社されます。
映画館やライブハウスが思い浮かべる会社ですね。
好きな分野の仕事の会社に入社できるのは、なかなかの幸運です。
始まりは社長からのミッション
今から21年前の1997年。
株式会社チッタエンタテイメントでは、社運をかけた10周年記念イベントを開催することになりました。
そこで、登場するのが、現会長であるコウコさん。
コウコさんが当時の社長だった時にこの企画が開催されることになり、そこで白羽の矢が立ってしまったのが、ドキさん。
社長から麻布十番高級フグ料理店へ連れていかれます。
ドキさんはこの時社長から、この10周年記念のイベントを任せる、と言われたそうです。
社長直々に大事なイベントを任命されるなんて、仕事が出来る人だったんですね。
人の頼みは断れないドキさんは、「無理です」って言いたかったけど、言えない性分。
そのため仕方なく、社運を背負うことになってしまいます。
こうしてハロウィーンイベントの企画になった
10周年記念のイベントには、こういう条件がありました。
▽
- 秋に開催できるハッピーなイベント
- 若者が楽しめるイベント
これにはちゃんとした理由がありました。
映画業界は秋は閑散期なので、秋に集客したいという意図と、川崎は工業のイメージだったので、若者を集めたいという意図でした。
いまでこそ川崎はいいイメージですけど、昔は工業地域というか、風俗とかギャンブルとかのイメージがあったのです。
それを払拭させて、若者を集めたかったということです。
そういう地道な影の努力で、今や川崎は人気の街になりました。
先人の方々のおかげです。
社内でプロジェクトチームを作りますが、ドキさん以外は全員パリピだったそう。
女性にモテモテのハーフの男性、踊り好きな若手社員、パリピを遊ばせるのが得意な男性…こういうチーム構成だったとか。
完全に浮いているのは、一般人で真面目そうなドキさん。
この企画のチーム結成4月で、ハロウィーンまで6ヵ月という時間のなさでした。
ドキさんは、一生懸命企画を練ります。
準備期間を考えるとあまり大きなことは出来ないと思います。
そこで考えたのが、「映画鑑賞1ドリンク付き」!(笑)
…なんか普通ですね。
当然、却下されました。
その後の企画会議で、ハーフのモテ男さんから「大人のハロウィーンとかどうか?」という提案が出ます。
大人が仮装するパーティで、若者を呼び込むと考えたそうです。
企画の発案者はドキさんじゃなかったんですね!
コウコさんからも許可が出て、ついにハロウィーンイベントが開催されることになりました。
当時の日本では「ハロウィーンなにそれ?」だった
当時の日本ではハロウィーンが浸透していなかったので、一般にはピンと来なかったようです。
ドキさんもそうでした。
「大人が仮装して何が楽しいんだろう?」と思ったそうです。
ゲストの佐藤健さんも、「今でこそハロウィーンは分かりますけど、当時は全く浸透していないわけですから、すぐやりましょうとはならない」と的確にお話されてました。
ところが、パリピな社員さんたちは、仮装で街中音楽を鳴らしてパレードしようと言い出します。
ドキさんは無理に決まっていると思いつつも、コウコ社長に「楽しそう」と言われ、ますますハロウィーンパレードに向けて進んでいきました。
追い込まれていくドキさんは過呼吸になってしまいます。
呼吸の仕方がわからなくなったと言ってました。
なかばやけくそ状態で、自分もパリピになってやろうと決心し、ドキさんは自ら週末に、六本木や渋谷にクラブへ通ってパリピを学んだそうです。
ドキさんは踊ったりせず、カウンターで飲んでいただけだそうですけど。
パリピにはなれなかったんですね。
ドキさん、警察の許可取りに奮闘!
パレードをするには、警察の道路使用許可が必要になります。
20年以上前なので、上記のようにハロウィーンを知らない人がほとんどでした。
ドキさんは警察に赴くも話をちゃんと聞いてもらえず、5回、10回と通ったそうです。
そして、ようやく話を聞いてもらえることになり、ハロウィーンパレードの説明をします。
そこで「どんな踊りか踊ってみて」と言われ、警察官の前で音楽なしで踊ってみせます。
人に言われたら断れませんから!
ドキさんの謎の踊りを見せた後、交通課が一気に和やかムードになります。
「お前も頑張っているんだな」ということを言われ、こうやったら許可でるかもしれないよというヒントを貰えたそうです。
ついに、警察から許可が出るのです。
裏方さんってやっぱり大変ですよね。
ドキさんは一例として警察の話をされましたけど、商店街の方とか役所とかいろんなところに説明して、許可を貰ったんでしょう。
楽しいイベントの影の役割の大きさを感じました。
いよいよ初のハロウィーンパレードが開催!
参加をしてくれることになっていた商店街の方々が、仮装をするのは恥ずかしいと躊躇してきたそうです。
開催2週間前に、「大人の俺たちが昼間から仮装するのか」、と恥ずかしくなったんだそう。
前例もないですから、不安です。
開催直前に参加者が集まらないという重圧に悩まされるドキさん。
ついには、自分1人しかパレードに参加していない悪夢を毎晩見てしまったんだそうです。
これは寝るのが怖くなりますが、それだけ精神的に追い詰められていたのでしょう。
イベントとしては、パレード参加者の目標は、最低100人でした。
これは最低限形になるであろうと予測した人数です。
ですが、イベント2週間前に、たった数十人しか集まってませんでした。
ドキさんの悪夢が現実になりそうな不安の中、なんとか人をかき集めました。
社員総出で30人。
知り合いの劇団員40人。
仮装をしなければならないので衣装を持っている人を考えて、劇団員を思い浮かべて頼んだそうです。
当日は、なんと80人の参加者が現れ、合計150人でパレードが完成しました!
この80人は、パリピのスタッフがいろんなクラブで声を掛けていたんだとか!
一生懸命宣伝してくれていたんですね。
ドキさんは、嬉しかったそうです。
幸せそうにパレードに参加してくれているのを見て感動した、と言ってました。
その後のハロウィーンパレードの推移
パレードの様子を放送されて、当時話題になったそうです。
その番組は『トゥナイト2』です。
な、懐かしい…。
ちょっとエロい話題もありましたよねw
川崎でのパレードは150人でしたが、その放送ではパレードの両脇に通行人も含まれており、すごい大人数で賑わっているように見えました。
それも功を奏したようで、番組をキッカケにしてハロウィーンイベントが定着していったんだそうです。
こうしてカワサキハロウィーンパレードは、日本最大級のハロウィーンイベントになりました。
翌年1998年の2回目は650人、3回目は1500人と着実に増えて、今年は22回目となり12万人の観客が参加者します。
まさに、日本を代表するハロウィーンイベントと成長し続けています。
ラベリングは「ドキテクノの創始者」(激レアさん No.66)でした。
激レアお仕事カタログ 四つ葉アーティスト・生澤愛子さん
生澤愛子さん。
22歳の女性です。
職業は、四つ葉アーティスト。
四つ葉だけが特別に見えるそうで、光って見える特殊能力があるそうです。
医学的には解明できていない能力なんだとか。
四つ葉が誕生する確率は10万本に1本だそうです。
野草マニアの岡本信人さんとの対決してました(笑)。
対決中、生澤さんは四つ葉はもちろんですが、五つ葉まで見つけてました!
五つ葉なんて見たことないです!!
初めてみました。
さらに、六つ葉まで見つけてました。
これは相当レアなんだそうです。
これも初めて見ました!
結果は、生澤さんは20分で12本発見してました!
岡本さんは賑やかし役なので(笑)、食べれる野草を7本見つけてました。
この才能があれば、四つ葉アーティストとして成立しますね。
才能と仕事が合致してます。
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