2019年11月30日放送の『激レアさんを連れてきた。』を観ました
今回の激レアさんは「ママチャリで娘を幼稚園に毎日送り迎えしていたら驚くほど脚力がつき、史上最年長の50歳でプロ競輪選手になっちゃった人、タカマツさん(高松美代子さん)」です。
マジですか?
50歳で、しかも女性で競輪選手だなんて…!?
競輪を見ることがありますけど、全く知りませんでした…。
◆ゲスト
広瀬アリスさん、高橋克実さん
▽目次です▽
- 主婦だったタカマツさんが競輪選手だった事実
- タカマツさんのママチャリ人生は長女の幼稚園送迎から始まる
- 7年間の送迎は地球1周分の距離だった!
- 知らないおじさんの一言で300kmのロードレースに参加!
- 女子競輪への道
- 受験にはオリンピック選手の猛者が集まる
- タカマツさんプロの競輪選手になる!
主婦だったタカマツさんが競輪選手だった事実
- タカマツさんは元々主婦。
- 49歳で競輪の世界に飛び込んだ。史上最高齢でプロの競輪選手になった人。
若林さんも「プロ競輪選手って50歳でなれるの?」と不思議がってましたけど、そうですよね。
年齢制限ってないんですか?
ふくらはぎを見せてくれましたけど、もっこりしていてすごい筋肉でした。
さらに、試合の映像も見ましたけど、20代~30代の選手に交じって、当時51歳のタカマツ選手が走ってました!マジだったんだ!
タカマツさんのママチャリ人生は長女の幼稚園送迎から始まる
- 30年前。娘さんを幼稚園に自転車で送り迎えしていたタカマツさん。
- 片道5kmの私立の幼稚園だった。環境の良さを気に入って入園させた。
- 電車移動だと周り道になるため、直線距離の自転車を選択。ママチャリでの送り迎えだった。
- 妹もいたため、前に妹、後ろに幼稚園の娘さんを乗せて走っていた。
- 娘さんが20kg、妹さんが15~16kg。タカマツさんは60kg弱でママチャリを漕いでいた。
- 送り迎えでトータル毎日20kmを走っていた。
- 時間は片道40分くらいかかっていた。
- これを3年続けた。
◆◇◆ ◆◇◆
お子さんをママチャリに乗せているお母さんってよく見かけますけど、本当に凄いですよね。
しかもタカマツさんの頃は電動自転車がない時代だったそうで、本当に脚力だけが頼りだったようです。
お母さんって、本当にありがたい…。
7年間の送迎は地球1周分の距離だった!
- 長女が卒園後、今度は妹の次女の送り迎えとなった。
- 妹さんは家から8kmの幼稚園に通うことになる。
- 環境の良い幼稚園を探したところ、長女より遠い幼稚園となった。田園調布の幼稚園。
- 幼稚園の送迎には、心臓破りの坂付き。
- 送迎には片道の往復16kmを2回繰り返さなければならなかった。1日32km!
- 32kmは山手線の1周(34km)に近い距離。
- 水曜日は幼稚園が早く終わる日だったが、他のお母さんたちのように近くでお茶をせず、必ず1度戻って家事を済ませて戻っていった。
- 車は道路が混むため、自転車になった。
- 雨の日も風に日も休まず、ママチャリ送迎を続けた。
- 長女と次女を合わせたママチャリ送迎距離は、4万km!なんと地球1周分!
◆◇◆ ◆◇◆
毎日32kmを走っていたら、7年間でそんなに距離を積み重ねられるんですね。
しかも毎日20kg以上の重しを乗せるのと一緒ですし。
さらにお買い物も自転車使ってらしたでしょうし。
自然と脚力がアップしたんでしょうけど、常に必死で漕いでいたからこそですよね。
だからしっかり筋肉がついたんだと思います。
知らないおじさんの一言で300kmのロードレースに参加!
- 娘さんたちが卒園し、送迎生活も終わったタカマツさん。
- プールに遊びに行った時のこと。
- ある時知らないおじさんから声を掛けられる。「自転車やってますか?いい脚してますね」
- そのおじさんは自転車のアマチュアの大会に出ていた人だった。
- おじさん曰く「自転車やっている人は一目見てわかる!」とのこと。ママチャリ送迎のタカマツさんの脚をそう感じた。
- 自転車競技の人と間違われてしまったタカマツさん!
- そのおじさんから、300kmの自転車レースへの出場を勧められる。
- そのレースは東京の高尾山-新潟の間の国道20号をひたすら走るレースだった。
- 「東京-糸魚川ファストラン」というサイクリング大会だった。
- タカマツさんは10時間半で到着できた。
- この時はママチャリからロードバイクに乗った。初めて乗った時感動したというタカマツさん。
- タカマツさんが39歳の時だった。
◆◇◆ ◆◇◆
大会に出るために、義理のお母様にお子さんを預けるのに、食事を作ったり家事をしてから出掛けたそう。
ほぼ寝ていない状態での参戦でした。
タカマツさんスゴイ!
女子競輪への道
- レースで優勝したタカマツさん。
- 家事で不眠だったため、コンビニの駐車場で一眠り(20~30分)しつつも優勝したとのこと。
- タカマツさんは自転車レースにハマり、平日は家事、土日は自転車レースに参加をしていた。
- 300kmの自転車レースで7回優勝!
- 48歳の時。タカマツさんは「ガールズ競輪の復活」を知った。
- 女子競輪は1949年~64年まであったが廃止になった。
- それを見て「女子競輪、受けてみようかな」と思ったというタカマツさん。
- 主婦業と自転車レースの両立がきつかったため、競輪学校に入れば毎日練習ができる、自転車三昧の生活ができると考えた。
- 家族には50歳近い人が通るわけがないと思われ、好きなことをしたらいいと思われていた。
◆◇◆ ◆◇◆
実際長女のカナさんが登場し、タカマツさんの家事は完璧だったそう。
お母さんの好きなことをやらせてあげたいと思ったんだとか。
さらに、「ウチのお母さん、競輪選手なんだ」ってカッコいいとも思ったんだそうです。
素敵なお嬢さんですね。
受験にはオリンピック選手の猛者が集まる
- 競輪学校の入試試験には、オリンピック選手などの猛者が集まっていた。
- 入学希望者は20代の若者ばかり。
- タカマツさんはその中に混ざって、見事合格!
- タカマツさんは10ヵ月の寮生活を始まる。平均年齢26歳の中に、49歳の最年長だった。
- 競輪学校での訓練は軍隊並みに厳しかった。
- 午前中は学科、午後は100kmを自転車で走るという毎日。
- タカマツさんは若い生徒のお母さん的存在で、よく相談を受けていた。
- 当時、校長先生だけが年上で、他の先生は全員年下だった。
- 厳しい学校生活も、タカマツさんには楽園だった。それは家事をほとんどしなくていいから。
- タカマツさんは競輪学校の生徒会長だった。
若林さんが元がママチャリ送迎から競輪学校に入学したのだから、ストリートファイトのようなもの、とたとえてました。
確かにその通りですね。
スポーツの英才教育を受けたわけじゃない、とも言ってました。
女性で、その年齢で激しいスポーツを制するって、真面目にカッコいいですよね。
生徒の中には、タカマツさんよりも10歳下のお母さんがいる方もいたとか。
19歳とかで生んでいたらあり得ますもんね。
タカマツさんプロの競輪選手になる!
- タカマツさんは50歳という最高齢でプロの競輪選手となった。
- 2013年の賞金女王に輝いた中村由香里選手曰く、タカマツさんは朝練を欠かさずやっていた努力の人。
- タカマツさんの目標は、史上最年長の勝利!
- 2012年7月のデビューだったため、年内には1勝したいと思った。
- 2012年12月まで23戦未勝利だったタカマツさん。
- 2012年12月27日の高松競輪場。自分の苗字と同じレース場で見事初勝利!目標の年内初勝利を達成!
- ファンの方にも家族にも大喜びしてくれた。
- 2017、4年8ヵ月の時怪我のため引退。当時54歳だった。成績は323戦3勝。
- 現在はガールズケイリンのサポートスタッフとして、新人の訓練に携わっている。
タカマツさんの勝利に競輪ファンのおじさんたちから祝福の声があがってました。
競輪ファンのおじさんたちって、競馬よりももっと荒っぽい人が多いので意外に感じました。
前にテレビでスタートを何度かやり直しになった時、「そんなのいいから早く走れ!」と怒号があがっていた記憶があります(笑)。
若林さんが初勝利の映像を見て、タカマツさんの自転車の前後に娘さんの姿が見えるとボケてました。
それがあってのタカマツさんの競輪人生ですもんね。
◆◇◆ ◆◇◆
ラベリングは「完璧主義で太ももがパンパンになった人」(激レアさん No.125)でした。
それまでの下地は必要でしょうけど、チャレンジするって年齢は関係ないってことですね。
タカマツさんはプロでご活躍されましたけど、いろんなことにチャレンジして楽しむには、いつからでもOKだということを感じました。
上品そうなタカマツさんですけど、きっとレースの時は負けん気が強かったんでしょうね。
勝負の世界にいたという感じがしないのも、元々が主婦だったからなのかもしれません。
勇気の持てるいいお話でした。
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