2022年2月28日放送の『激レアさんを連れてきた。』を見ました。
今回の激レアさんは「お笑い界をカオスにしている人、ヒライさん(平井精一さん)」です。
平井さんだ!
この方知っています!
昨年の『アメトーーク』の「ソニー芸人」の回にご出演されてました。
SMAの平井マネージャーです。
▶アメトーーク 5月20日「ソニー芸人」立役者は平井マネージャー!傷ついた芸人が最後にたどり着く事務所が賞レースで大躍進! - 今日も暇です。
きっと錦鯉がM-1制覇されたので特集されることになったんですね。
めちゃくちゃ楽しい回になりそうです。
◆ゲスト
- 木村昴
- SHELLY
▽目次です▽
- SMA芸人部門を作ったヒライさん
- ヒライさんがSMA 芸人部門を立ち上げるまで
- 芸人集めにおじさん芸人が集結!
- 個性豊かなSMA芸人の歴史
- コウメマネーで劇場を常設!
- 1冠目 バイきんぐのキングオブコント優勝まで
- 2冠目 ハリウッドザコシショウのR-1優勝まで
- 3冠目 錦鯉のM-1優勝まで
SMA芸人部門を作ったヒライさん
- 現在テレビで「服を着ていない」「やけにおじさん」「様子がおかしい」そんな芸人が活躍中⇒それがSMA(ソニーミュージックアーティスツ)
- ヒライさんはSMAの芸人部門を統括する部長⇒ヒライさんが作った部門⇒若林が芸人を始めた頃には、SMAに芸人部門がなかったと語る。
- SMA所属の代表的なアーティスト:奥田民生、木村カエラ、LiSA、二階堂ふみ、成田凌など。
- SMA所属の代表的な芸人:ハリウッドザコシショウ、アキラ100%、バイきんぐ、錦鯉など。←「(写真を見て)肌色の部分が多いよね」と若林。
- 今やSMAをお笑い界の一大勢力にした張本人がヒライさん!
ヒライさんがSMA 芸人部門を立ち上げるまで
- 元々ヒライさんはソニーミュージックの宣伝部を担当。⇒全く活躍せず。
- ヒライさん曰く新人のアーティストをメディアに売り込みに行っても、「誰?」と言われ撃沈。
- ヒライさんの前職はナベプロでホンジャマカを担当。⇒無名の頃が担当し一緒にのし上がった経験あり。
- 当時は恵がラジオのレギュラーが1本、石塚がレギュラー0本だった時に、ヒライさんが担当。
- その4月に小さな番組に出演するようになる⇒そして全国ネットの『フレンドパーク』出演でホンジャマカは人気に!
- SMAで業務拡大することになる⇒ミュージシャン以外も扱う。
- ヒライさんはホンジャマカで経験した華やかな芸人マネージャー時代を再現したい!⇒芸人もたくさん入れよう!
- いきなり芸人をすぐに入れられるわけではなく、ヒライさんが企画書を提出⇒それが「新たな総合演芸部 設立プロジェクト」⇒ダウンタウンのようなお笑いタレントを育て上げ、冠番組を持ち、そのOP曲とED曲をソニーミュージック所属アーティストで独占させる。
- ヒライさんは宣伝部を頑張る傍らでお笑いもやらせて欲しいと上司に言った。⇒なんとなく部署が設立。
- 2004年12月、SMAに芸人部門が発足。←「ヒライさんのスタンドプレイ。ヒライ部門ですよね」と若林。
芸人集めにおじさん芸人が集結!
- まずは芸人を集めないといけない。
- 年齢制限なしで募集⇒当時吉本興業以外の東京の事務所は20組前後の芸人で少数精鋭が多かった。⇒事務所からぶれた芸人の一挙獲得を狙った!
- フリー芸人を集めればお宝が出るのではないか、という宝探し感覚だったというヒライさん。
- SMAに「おじさん」たちがどっさり加入。⇒若林曰く当時怪しいおじさん芸人がいっぱいSMAに入った記憶がある。「芸人としては面白いんだけど怪しいおじさんたちがいっぱい!」
- SMAに来た芸人:事務所に馴染めなくて辞めた芸人、怠惰で事務所をクビになった芸人、そもそも芸人でもないおじさん
- その甲斐あって、発足5ヵ月でおよそ50組がSMAに集結!⇒応募してきた芸人は全員所属。⇒「SMAは誰でも入れるらしい」という噂があったと若林。
- 当時の芸人リストを見て若林がマッサジルを指す⇒錦鯉・長谷川のコンビで、めちゃくちゃおじさんが水色の作業服を来て漫才をするので、若い女の子のお客さんが引いて笑わなかった。「本当に作業員なの!」と若林。
- 現・アルコ&ピースの平子が「セクシーチョコレート」、酒井「ホトトギス」でSMAの発足当時に所属。
- SMAでは芸風を止めないという噂もあった。
- ヒライさんは夢を持っている人たちの夢をたまたまマネージャーをしている自分が絶っていいのかなと思っていたので、来る者拒まず。
個性豊かなSMA芸人の歴史
- ザコシの話①:当時は30歳以上は他事務所では毛嫌いされていた。ソニーぐらい。「ヤッベェ奴ヤッベェ奴がひっきりなしに入ってきた」⇒芸も何もないお婆さんが入ってきた。
- ザコシの話②:銀行強盗のネタをピン芸人がやっていたが、本物の包丁を使っていた。
- コウメ太夫の話①:元々コウメは梅沢武夫劇団の弟子。白塗りのやり方や着物の着方などいろんなことを教わった。⇒ドリフターズが好きでお笑いを目指す。⇒どのオーディションも受からず。⇒「誰でも入れるよ」という噂があったSMAへ。
- コウメ太夫の話②:当時のヒライさんは「免許証見せて。年齢さえ嘘ついてなければいいよ」でSMA所属。
- ヒライさんはネタ見せでも白塗りと着物姿で来るコウメを見て、すごい真面目で一生懸命な人だと感じた。
- コウメ太夫の話③:コンビを解消してピン芸人でやっていたが、担当の作家と合わず行き詰って「芸人辞めたい」と言った。⇒こんな真面目な人が作家と合わないだけで辞めるのは残念と思い、違う作家に見てもらうようにアドバイスをしたヒライさん。
- コウメ太夫の話④:新しい作家から裏声を使うことや出囃子を口で言うことを提案。⇒真面目なコウメは全部受け入れる⇒爆笑を取るように!
当時は『エンタの神様』ブームでコウメ太夫がSMA所属5ヵ月で初出演。 - コウメ太夫はSMA第1号の大ブレイク芸人となった。⇒営業殺到で数億円のコウメマネーが入り込む!⇒1回の営業で新入社員1ヵ月分の給料くらいが本人にも、SMAにも入る!
コウメマネーで劇場を常設!
- ヒライさんはコウメマネーで千川に常設劇場「Beach V」を立ち上げる。
- 常設の劇場を作った理由:本業のアーティスト部門のSMAで、「最近変な奴らが社内をウロついてない?」と噂になたため。
- ライブ前にネタを見たかったため、会社の会議室で行っていた。⇒「これはどうなっているんだ?」と上司に言われたヒライさん。⇒本社と距離を置くために劇場を立ち上げた。
- 劇場「Beach V」では、ライブは新ネタでランキングをつける。⇒客観的な現実を芸人に伝えるため、観客投票でランキングの順位づけをした。
- また毎回同じネタをされても困るため、可能性を探るために毎回新ネタでチャレンジさせた。
- 芸人に目標を与えてあげなければいけない⇒1軍から6軍までのランク付けをし、1軍は自分でオンエアバトルに売り込んだ。
- こうすることで、独りよがりなアウトロー芸人たちのネタに変化が生まれる。
- 「Beach V」は土日は事務所のライブを行うが、平日は所属芸人が安く自由に使える。単独ライブを行う芸人も。
- ザコシは劇場の管理をしたり、挨拶を含めて芸人の指導も行っていた。⇒気がつけば劇場にはザコシが住みついていた。
- ヒライさんがザコシが「芸歴1番長いので管理してはどうか、住みついたら?」と言われたというザコシ。⇒それを言ったことをヒライさんが忘れていた。⇒SMA本社に内緒、と言われていた。
- ザコシは劇場があるというのは大きい。練習する場、情報交換の場というのは他事務所にはなかった。
- しかもライブが終わったら劇場が居酒屋代わりに。
- 「Beach V」の場所は元々ライブハウスだったために、音を吸いまくってしまう。⇒笑い声も吸い取る。⇒SMA芸人の声量がドンドン大きくなる。←「ライブハウスでやるのは嫌なんだよね。笑い声が全然響かない」と若林。
- この劇場のおかげで、横の繋がりが出来、切磋琢磨し、爆音声量も身に付けた。
1冠目 バイきんぐのキングオブコント優勝まで
- レッドカーペットでは響がブレイク。
- しかし、時代は賞レースへ⇒賞レースで勝負出来ないと次のステップに進めない。
- ヒライさんが戦えると思ったコンビがバイきんぐ。
- 当時のバイきんぐは事務所ライブで大人気だったが、奇抜なネタが多くテレビ出演が出来なかった。⇒1軍にいたらオンエアバトルに出演できたのに、唯一オンエアバトルに断られたのがバイきんぐ。「全国ネットでは使えないという判断だった」とヒライさん。
- 当時のネタは奇抜すぎたため、ヒライさんはバイきんぐとしっかり話し合った。「お前らだけだかんな。NHK出られないのは!」
- バイきんぐに単独ライブをやれと言ったら、同じことを繰り返した。奇抜なネタに磨きがかかってしまった⇒そこでヒライさんがテーマ対決ライブを強制開催!分かりやすいお題でバイきんぐの同期芸人と対決。
- バイきんぐは分かりやすいお題に対して「あるある」からネタを作った。
- それで変わり、半年後にキングオブコント準決勝に行った。それが2008年。←「世の中に無理矢理にでも合わせさせる」と若林が指摘。
- バイきんぐは2012年にキングオブコント王者に!⇒「こんなに感動したことはない」とヒライさん。
- ヒライさん曰く小峠は人に聞く耳を持っている。本人の力と芸人の友人のおかげ。
2冠目 ハリウッドザコシショウのR-1優勝まで
- ヒライさんにはブレイクして欲しい芸人がいた⇒それがSMAの支柱でもあるハリウッドザコシショウ。⇒リーダーが結果出さないとダメ、というヒライさん。
- 後輩がドンドン売れていく中、お笑いファンには人気があったもののまだブレイクできていなかったザコシ。⇒やはり奇抜すぎるネタ。
- 単独ライブでモノマネ50連発というマニアックなモノマネをしたいたザコシ。
- 同時にあらびき団でキャラ漫談をしていた。⇒あらびき団の地上波が終了し、ネット配信に移る。⇒キャラ漫談は権利が厳しくなるということでNGに。⇒他に何かないかと言われ、モノマネは大丈夫かと尋ねたらOK⇒モノマネ芸にシフト!
- 2014年の後半にヒライさんから「40歳以上のやつは面談する」と言い出した。⇒面談で「お前こんなモノマネなんかいつまでやんだよ」と言われ、「もう1年だけやらせてください」とザコシ。
- その1年後の2016年にザコシがR-1で優勝!「獲ってやりましたわ!」
- ザコシの優勝で、SMA芸人は「諦めなければ不可能はない」と思わせた。
- 翌年2017年には、アキラ100%がR-1優勝!なんとSMAが二連覇!
- アキラのネタは賛否があるため、本人が心折れないか心配だったというヒライさん。
3冠目 錦鯉のM-1優勝まで
- 錦鯉・長谷川は一発ギャグを1日1個、1年間毎日SNSに投稿していた。
- 真面目で一生懸命で、ネタの話は真剣にするタイプだと長谷川を評するヒライさん。
- 2021年にM-1優勝させるためにヒライさんが行っていたことがある。
- 多忙なスケジュールでネタを完成しきっていない錦鯉。M-1の3日前に呼び出し、そこには賞レースの王者やファイナリストが集まっていた。
- ここで錦鯉のM-1決勝ネタを予行演習させた。
- 小峠からは「最後何かあった方がいいんじゃないか。Life is beautifulとかさ」と言われた。
- またネタの順番にも言及。⇒SMA芸人全員が錦鯉をバックアップ!
- 修正後のネタの最終予行演習をさせたくて、ヒライさんは夜10時からライブをやれるハコを捜索。⇒ライブをやっている会場を見つけ、錦鯉をねじ込んだ。
- 準備万端でM-1の決勝に挑むことが出来た錦鯉。
- その結果、2021年に錦鯉がM-1優勝!
- ヒライさんは「皆さんのおかげで錦鯉は優勝出来たと思っている」とSMA芸人に感謝を伝えた。
- 錦鯉・長谷川は「Life is beautiful」の意味がわからなくて、終わった後に「どういう意味?」と渡辺に聞いていた。
- 長谷川はSMAは傷ついた人たちばかりだからみんな優しい。嫌な人はいない。先輩後輩関係なくネタのことを言えるというのは、SMAの良い所。
賞レース3冠は吉本以来の偉業! - 最近はSMAに入りたいと言って入ってくる芸人もいる⇒それが「やす子」。⇒やっと純粋なSMA芸人が誕生した、とヒライさん。
◆◇◆ ◆◇◆
ラベリングは「ソニー(SMA)で面白いおじさんを密造していた人」(激レアさん No.296)」でした。
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おじさん芸人が元気で頑張っているのもいいですよね!
ソニー芸人は、冒頭でもお伝えした『アメトーーク』でもテーマになってましたし、『水曜日のダウンタウン』でも「ソニー芸人はソニー製品を持っているか」説の検証もありました。
ヒライさんはやす子さんがSMAを選んだと言ってましたけど、正確にはやす子さんと当時コンビを組んでいた女の子2人でいろんな事務所に入りたいとメールをしたら、SMAが真っ先に返事が来たためSMAに面接に行ったと言ってましたっけ。
それでも生え抜きには間違いないので、頑張って欲しいですね。
これでやす子さんが「The W」も優勝したら、4冠目です!
ただやす子さん、ネタが上手くいかなくてチャップリンで泣いちゃったからそこは克服して欲しいですね。
なんか可愛くて応援しています。
向上委員会では、今田さんラブを打ち出していてそれも面白いw
あとフジモンさんとの小学生ケンカも面白い。
両方ともネタでしょうけど。
ザコシさんは松ちゃんの『ドキュメンタル』でも3回優勝して負け知らずなんですよね。
そこもきっとヒライさんは褒めてると思います。
浜ちゃんの『オオカミ少年』でもザコシシリーズ(最高!)がありますし、ダウンタウンに気に入られているのも良き。
これからもオジサンパワーを炸裂させて欲しいですね。
▽他のソニー芸人テーマもどうぞ▽
①アメトーーク 5月20日「ソニー芸人」立役者は平井マネージャー!傷ついた芸人が最後にたどり着く事務所が賞レースで大躍進! - 今日も暇です。
②『水曜日のダウンタウン』SONY芸人はSONY製品を持っているかをチェック説 ザコシのSONY愛! - 今日も暇です。