2019年9月21日放送の『激レアさんを連れてきた。』を観ました
今回の激レアさんは「全く声優志望ではなかったのに、中2で国民的アニメキャラクター 「ジャイアン」の声優に合格しちゃって、その運命に翻弄された人、キムラさん(木村昴さん)」です。
国民的アニメと「ジャイアン」で、すぐに木村昴さんってわかりますね。
きっといろいろとご苦労があったように感じます。
本日は『激レアさん』の特番もありましたが、こちらは通常回です。
弘中アナ、特番と通常回もあり、『激レアさん』を連続で休まず放送されていますから、フリップ書いたり、プレゼンを考えたり大変でしたね。
本当に凄いなぁと感心してしまいます。
◆ゲスト
- 吉岡里帆さん
- 田中卓志さん(アンガールズ)
▽目次です▽
- 声優志望でもなんでもなかったキムラ少年
- キムラさんの生い立ち
- 中2の時『ドラえもん』声優一斉オーディションを受ける
- 『ドラえもん』オーディションの流れ
- ジャイアン役は険しい茨の道だった
- さらなる試練はジャイアンの歌問題
- 現在は「ヒプノシスマイク」で念願のラッパーに!
声優志望でもなんでもなかったキムラ少年
- 2005年『ドラえもん』の声優総入れ替えが行われた。ドラえもん、のび太、しずかちゃん、ジャイアン、スネ夫の5人の声優入れ替えの大規模オーディションだった。
- 大物声優もオーディションに参加したという歴史的オーディションだった。
- ジャイアンの声に合格したのが、声優未経験の14歳の素人少年。
- 声優になりたいと思っていなかった。マンガも読まず、アニメもほとんど見ておらず、唯一知ったのが『ドラえもん』。
- 現在はジャイアン歴も15年!
もう15年になるんですね。
先代のイメージが強い世代ですけど、15年もやっていれば十分浸透しているわけです。
やはり愛されるキャラ作りをされているからこそ、人気が続いているんですよね。
キムラさんの生い立ち
- 父はドイツ人でオペラ歌手。母は日本人で声楽家。両親の影響で音楽の英才教育で育つ。
- キムラさんは超目立ちたがり屋の性格。
- 小学1年の時にドイツから日本へ移住。
- ドイツを離れる時のお別れパーティーが街中を馬車でパレードするという盛大な見送りだった。同級生もそれぞれ馬車に乗せ、学校に桜に木を植えたという派手さ。
- 日本に来たが日本語は全く話せなかった。
- HIP HOPで日本語を学んだ。スチャダラパーやEAST ENDから。
- 日本語を覚えたキムラ少年は、子役タレントが所属する児童劇団に入団し、ものまね番組で人気を博した。羽賀研二のものまねだった。ミニミニ羽賀研二と言われていた。
- 日本語覚えたてのキムラ少年は友達との距離を縮めるために、公衆電話に貼られていたせくしぃなチラシを取ってきて友達に配っていた。それで仲良くなった。
キムラさんボンボン!
若林さんが「お金持ちのジャイアンは最悪ですね」とナイスな例えをされてました!
目立ちたがりの木村少年は児童劇団に入っていたんですね。知らなかったです。
中2の時『ドラえもん』声優一斉オーディションを受ける
- 中2の時。『ドラえもん』声優一斉オーディションを知ったキムラ少年は、『ドラえもん』はみんなが知っているので、オーディションを受けたらめちゃくちゃモテると思った。それがキッカケ。
- 『ドラえもん』声優オーディションには590名の応募があり、約900本のテープが届いた。1人で複数の役に応募が出来た。5役全て受けた人もいた。
- キムラ少年がジャイアン役で応募したのは、1番性格が近く、1番好きなキャラクターだった。
- 「俺しずかちゃん受けたぜ」と言うのも熱いなと思ったりもしたキムラ少年。
- オーディションに応募をするとオーディション用の台本が届き、それだけで興奮していた木村少年は、声を吹き込んでテープ審査を提出。
- この時点で、ジャイアン役に応募出来たため、キムラ少年の中では大満足だった。友達にオーディションを受けたという自慢が出来ればよかった。
- だが、一次審査合格!話のタネが出来たと喜ぶ。
- 二次審査合格者は48名、ジャイアン役の候補者は8名。
- 二次審査では、大人しかいなかった。キムラさんは自分が合格したので、みんなも子役で、みんな素人だと勝手に思っていた。
- ここでようやく、事の重大さがわかった。
声優は激戦ですもんね。
若林さんが「ほぼ終身雇用だもんね」と指摘してました。『ドラえもん』は終わらないですよね、きっと。
弘中アナも「一生安泰」と言ってました。
『ドラえもん』オーディションの流れ
- オーディションでは、先代のモノマネではなく、自分自身のジャイアンを演じるようにと指示される。
- さらに二次審査のアフレコでは、経験がないため、マイクを無視して舞台のように動きながらセリフを言ってしまった。
- それなのに、二次審査を合格し、最終審査へいくことになった。
- 最終審査は各役1人ずつの5名。これは5人でやってみてしっくりこなかったら、オーディションは1からやり直しになるというものだった。
- プレッシャーで押しつぶされそうになる木村少年を救ったのが、エミネムの「Lose Yourself」。
- 最終審査では厳しい指摘を受けるも、合格!途中審査員からは100点中7点と言われていた。
若林さんが「たまにあるよね。腕のある芸人だけを集めてもそんなに面白くない番組」と毒を吐いてました。どの番組のことなんでしょう?
『ドラえもん』のオーディションの映像が流れました!
凄い!
こんな感じでオーディションするんですね。関さんがいた!!
ジャイアン役は険しい茨の道だった
- オーディション合格から世間への情報解禁まで2ヵ月あった。家族を含めて一切口外禁止という厳しい制約があった。
- 2ヵ月の間にジャイアン役を完成させなければならなかったが、家でも学校でも練習出来なかったため、河川敷で特訓していた。河川敷には人が全然いなかった。
- 情報解禁になった時、やるしかないと腹を括った。「僕は今日から剛田武として生きていく!」
- 2ヵ月の間に新生メンバーでお稽古があった。キャラクターを固めていく作業が続くと、自分のジャイアンに自信がなくなってしまう。
- 声を高くするとスネ夫っぽくなるし、無理してダミ声を出すと先代のたてかべ和也になってしまい、悩んでいた時期。
- さらにスネ夫役の関智一さんからの当時の話。「ドイツ人とのハーフなので結構訛っていた」のび太が「ノヴィタ」になっていた。
- 2005年4月15日にキムラ少年が演じるジャイアンが全国放送された。
- 当時は嬉しくもあったが、しっくりこないという気持ちが強かった。
- 世間からもディスられた。前の方がいいとか、観るのをやめようかなど。
- そこでキムラ少年は初代ジャイアンのたてかべ和也さんに会いに行く。目的は「ジャイアンの演じ方」。
- 普通声優に聞くのはタブー。その人の技術なので、演じ方を聞くものではない。
- たてかべさんからの言葉は「ジャイアンは豪快なヤツだから思いっきりやればいいよ」と言われるだけ。具体的な演じ方を教えて欲しかったキムラ少年。
若林さんがたてかべさんと木村少年の感じが『ベスト・キッド』と言ってました。なるほど~。
声優というものを知らず、アニメや漫画とも無縁だったキムラさんには、確かに教えて欲しいところではありますよね。
さらなる試練はジャイアンの歌問題
- ジャイアンは日本一の音痴キャラ。
- キムラ少年は両親が音楽家ということもあり、音感はばっちり!音痴に歌うのは難しかった。
- 音を外すだけではダメ、リズムも合ってはいけない、そうなると歌じゃなくなる。どうすれば下手に歌えるのか悩むキムラ少年。「音痴って何なんだろう?」
- ここでまたたてかべさんにジャイアンリサイタルのコツを相談。「ジャイアンは歌が大好きだからねぇ」と言われるだけ。
- 家が近所ということもあり、たてかべさんと食事に行く仲になる。さらに毎年キムラさんの高校の学園祭にも来てくれた。
- 学園祭でたてかべさんを「先輩ジャイアン」として紹介したいと話すと、「ジャイアンはもうお前のもの。俺はでしゃばるマネはしたくない」と言われた。
- それなのに、たてかべさんは体育館で「俺はジャイア~ン」と歌って、「本物だ!」と言われていた。
- それを見たキムラさんは、たてかべさんはジャイアン辞めた後も、全然ジャイアンだと悟る。カッコいい!自分もそうなりたいと思った。
- ジャイアンの声を演じて5年。その時に「今年小学生に上がる子どもたちはジャイアンの声は僕の声だ」と気づく。
- 最初の5年間は技術を学ぼうと頑張っていた。でも、ジャイアンという役は口先のお芝居で演じるのは無理。
- 音痴をやるのではなく、楽しく歌えばいい。たてかべさんは生き様のことを言っていたのかな、と気づいた。
- キムラさんは「ジャイアンは歌が大好きで、気持ちよく楽しそうに歌っているところを表現したい」と思っている。
いい話でした。
たてかべさんとの交流もグッときましたし。
いい関係が築けてよかったですね。
これも中2の少年だったからこそなのでしょう。
現在は「ヒプノシスマイク」で念願のラッパーに!
- ラッパーに憧れていたキムラ少年。
- 現在は男性声優12人がメインの音楽原作キャラクターラップソングプロジェクト「ヒプノシスマイク」のラッパーとしても活躍!
- 198の映画館と、台湾10館でライブビューイングが行われるほどの大人気プロジェクト。
- 小さい頃の夢を叶えたキムラさん。ラッパーの夢の話を唯一話していたのが、スネ夫役の関智一さん。
◆ドラえもんファミリーからラッパーキムラさんへ
かかずゆみさん:「ラップでリサイタルをやりたい」とは言っていて、私もどんどんやりなよって。本当は上手いんだから。ここでは歌が下手な役だけど、やったら楽しいよというのはだいぶ前から話していたので、家族のような気持ちで何でも応援するよっていう感じで見守ってました。
大原めぐみさん:まさかこんなにラップで飛躍するとは思ってもみなかったので、ドームとかでライブやれちゃうぐらいの本当のスーパースターになってしまって。なんか遠い存在になっちゃったなぁってちょっと寂しい気持ちもあります。
水田わさびさん:ラップはラップでもっともっとたくさん。ラップももっと上にいくだろうし、他にもたくさん彼はいっぱい叶えていくんだと思います。親戚のおばちゃんなんで、私、ドラえもんファミリーだから。ちょっと小うるさいおばちゃんですけど、ずっと見守っていきます、彼を。
関智一さん:「ラッパーになりたい」ってずっと言ってました。高校生ぐらいの頃。着実に言ったことは叶えていってるので、スゴイなと思います。「キムラくん、これからはラッパーとして頑張っていってください。でも、『ドラえもん』だけはよろしくお願いします!」
関さんの言葉を聞いて、普段はこういうことを言わないと少し照れてました。
田中さんがスネ夫にだけ早めに打ち明けることを指摘すると、「1番喋りやすい!」とジャイアンモードで話してました。いい兄貴なのでしょう。
◆◇◆ ◆◇◆
ラベリングは「ドイツ生まれ たてかべ育ちの人」(激レアさん No.113)でした。
若林さんのラベリング発表後、「光栄です」とすごく喜んでいたキムラさん。
終始人柄の良さが表れてました。映画のカッコいい方のジャイアンって感じでしょうかね。
個人的には関智一さんが観れて嬉しかったなぁ。
▽前回の激レアさんもどうぞ▽
激レアさん 9月14日 南裏健康 ヒマラヤで奇跡の生還!パキスタン軍とのラストが映画のよう! - 今日も暇です。