2022年4月6日放送の『水曜日のダウンタウン』を見ました。
今回は説が3つありました。
ここでは「本物のハチ公を見たことがある人 まだギリこの世にいる説」です。
これは予告の時点でとても楽しみにしておりました。
以前に「徳川慶喜を生で見た事がある人 まだギリこの世にいる説」のような説ですよね。
昔の話も見れますし、知識も得られる良い回と予想。
◆プレゼンター
- ビビる大木
- FUJIWARA(原西孝幸、藤本敏史)
- 鬼越トマホーク(坂井良多、金ちゃん)
◆ゲスト
- 重盛さと美
- 飯塚悟志(東京03)
- 大橋未歩
▽目次です▽
- 本物のハチ公を見たことがある人 まだギリこの世にいる説
- 証言者① ハチ公時代から営業していた「渋谷西村フルーツパーラー」
- 証言者② 「魚力」
- 昔の渋谷の貴重な話
- 証言③ ついにハチ公見た人の証言
- 「あるぷす大将」の映像
本物のハチ公を見たことがある人 まだギリこの世にいる説
◆プレゼンター:ビビる大木
◆企画説明
- ビビる大木が7年前にプレゼンをした企画が「徳川慶喜を生で見た事がある人 まだギリこの世にいる説」(2015年7月15日放送)。
- 今回はその第2弾。
- ハチ公が亡くなったのは1935年(昭和10年)で、87年前。
- 90代の方であればハチ公を見ているでのはないか?
- ゲストの重盛さと美はハチ公を西郷隆盛の銅像の犬「ツン」だと思っていた。
証言者① ハチ公時代から営業していた「渋谷西村フルーツパーラー」
- ハチ公が出没していたのは昭和初期の渋谷駅。
- 当時は都電の路面電車も通っていた渋谷。
- ハチ公の時代から変わらず渋谷駅前に店舗を構えているのが「渋谷西村フルーツパーラー」。⇒代表取締役の西村元孝さんに伺う。
- 「渋谷西村フルーツパーラー」は昭和10年1月開業、ハチ公が亡くなったのが同年春。
- 西村さんは祖母から「ハチ公にエサをあげた」と聞き、父からは「大きな犬がのそのそ歩いている記憶がある」と聞いた。
- ハチ公は秋田犬で大型犬。←「(銅像は)等身大やないんや」と松ちゃん。
- 当時のセンター街は細い路地で、焼き鳥屋がたくさん並んでいた。
- ハチ公は酔客から焼き鳥の残り物を貰っていた。
- 西村さんの祖母、父は他界のため本人から話は伺えず。
証言者② 「魚力」
- 大正時代から渋谷で営業している「魚力」。
- 店主の鈴木徳久さんは亡くなった祖母からハチ公の話を聞いたことがある。
- 実際に祖母はハチ公を見たことがあると言っていた。⇒ハチ公の映画『ハチ公物語』(1987年公開)を見た日に聞いたため、ものすごく記憶に残っている。
- その映画の感動を鈴木さんは祖母に伝える⇒毎日迎えに行ってスゴイと話す鈴木さん
- 祖母のお話:駅には焼き鳥屋があって毎日そこに行けば、焼き鳥を食べている人から焼き鳥を貰って。電車が終わればお店も閉まるから家に帰る。それを毎日繰り返していた。
- 今となってはその焼き鳥話も本当かはわからないという鈴木さん。
▽
- 「ハチ公の目的がご主人だったのか焼き鳥だったのかどうかはともかく…」というナレーション←「それはご主人にしようよ」と浜ちゃん。
昔の渋谷の貴重な話
- ここまででハチ公を見た人がいないため、渋谷区周辺の老人ホームたデイサービスで話を伺う。
- 古くから渋谷に住む高齢者によるお話。
- 石川清子さん(1932年生まれ・90歳)によると、1945年の東京大空襲で渋谷駅前は闇市で大変だったとのこと。⇒今のセンター街や本店通りは小さな闇市がいっぱい。「いかがわしいものをいっぱい売ってました」
- 東横の東館の屋上が遊園地みたいになり、西館が出来た時に小さいロープウェイができた。東横百貨店屋上遊園地。⇒1951年頃に1年半だけ運行。
- 小糸さん(1929年生まれ・93歳):20歳の頃から渋谷で芸者をしており、現役。⇒昔は100人くらいの芸者が渋谷にいたが、現在は4人。⇒料亭がなくなってしまったため。現在渋谷の料亭は1軒。
- 渋谷の貴重な話は聞けたがハチ公を見た人はおらず。
証言③ ついにハチ公見た人の証言
- 渋谷区強度博物館・文学館の学芸員、松井圭太さんに話を伺う。
- ハチ公が生まれたのが大正12年11月。
- 大正13年1月に渋谷に貰われてきた。飼い主は東京帝国大学の上の英三郎教授。
- しかし飼い始めて1年後に、上野教授は他界。
- ハチ公が渋谷駅に通っているという話は、昭和7年の朝日新聞に掲載された。1932年10月4日。
- 渋谷の大きな犬は亡くなったご主人を待っているんだということで、なんて健気な犬なんだろうと有名になる。⇒ハチ公は一躍渋谷駅の人気者になる。
- この記事が掲載された翌日には、渋谷駅で小学生がハチ公の頭を撫でるために順番待ちの列ができた。
- 当時駅前ではその人気にあやかり、「ハチ公丼」や「ハチ公煎餅」などハチ公の名前がついた商品がたくさん並んだと言われている。
- ハチ公フィーバーは昭和10年に亡くなるまで、3年以上も続いた。
- ハチ公の銅像は亡くなる1年前に建てられた。⇒除幕式には本物のハチ公も出席。1934年4月22日の朝日新聞より。
- 「人間でも独裁者しかやらないまさかの生前パターンだった」とナレーション。
- 松井さんは実際にハチ公の獣医をしていた方の息子さんにいろんな際に話を伺っていたが、昨年お亡くなりになってしまったとのこと。
- 松井さんとしても「うちの博物館でもそういう方がいたらぜひ探したい」と話す。
- 新聞記事により世に知られてから3年間のハチ公は、ほぼ毎日渋谷駅に行っていたので、実際に見たことがある人は少なくないはずと調査を進める。
- ハチ公目撃情報を入手し、千葉県成田市へ。牧野和子さん(1931年生まれ・90歳)は当時渋谷駅から2~3分のところに住んでいた⇒ハチ公を見たことがある。「大きいですよね」
- ハチ公が4歳ぐらいの時。牧野さんのお父さんが金物店をしており「ハチ公通るよ」と言ってきた⇒お店の中からスーッとハチ公が通ったのを見た。
- 牧野さん曰くハチ公は駅の周りにいたらしいが、駅の前には屋台がいっぱいあった。←「絶対これ出てくるな」と浜ちゃんのツッコミ。
- 飲んで焼き鳥か何か硬い部分をやってそれをたべてたという話もある。
- 黒井眞器さん(1926年生まれ・95歳)は道路を渡るのを山手線の中から見たことがある。⇒ハチ公は左右確認して道路を渡っていた。
- 道子さん(1928年生まれ・94歳)は7歳の時の記憶。しっかり覚えているとのこと。
- ハチ公は改札のところをウロウロしていた。じっと待ってはいない。⇒ハチ公は渋谷駅にいるのは当たり前で、みんな頭を撫でたりしていた。
- ハチ公は大人しい犬。薄茶色であまりキレイではなかった。
- ドクター中松さん(1928年生まれ・93歳)も渋谷生まれ。ハチ公の話を伺うと「長経験者プラットフォーム」という話を始める。⇒ハチ公は寝そべっていたと話す。
- 醍醐忠久さん(1928年生まれ・93歳)は幼稚園の頃に大崎の自宅から渋谷に行った際に、改札口を出たところにハチ公がいた。⇒頭を撫でた。⇒幼稚園生なのでハチ公とちょうど目線が合った。
- 醍醐さんは田園調布の線路沿いの桜並木のところを歩いていたら、同じくらいの年配の方が「私の母は忠犬ハチ公を飼ってたんですよ」と言ってきた。⇒醍醐さんはビックリしていると、ハチ公の耳が折れているのは、その方のお母さんがハチ公がケンカで帰ってきて耳の先っちょが切れていたので縫ったが素人だからきっちり元にならなくて折れてしまったと話していた。
- ハチ公の動く姿が映像に残っていた。それが昭和9年公開の「あるぷす大将」
◆検証結果◆
本物のハチ公を見た事がある人は
まだ結構いた
「あるぷす大将」の映像
YouTubeで発見!
この映像を見た松ちゃんは「デカいしすごいね」と一言。
◆◇◆ ◆◇◆
いや~さすが水ダウ!
悪意ある感じもわざと出している感もありましたが、美談だけではなくこういう面もあったのでは、という方向性は間違えていないと思います。
焼き鳥屋目的でも犬の本能でしょうし、それはそれでカワイイ。
90代ということでしたから、徳川慶喜の時よりはハードルは下がっていますけど、記憶がしっかりあるということが大事。
面白い検証でした。
昔の渋谷の話も興味深かったですし、映像も写真での比較もとても良かったです。
渋谷区郷土博物館にも行ってみたいなぁ。
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