2022年2月24日の『アメトーーク!』です。
今回のテーマは「あの時何してた?芸人年齢トーーク」。
その年齢の時に何をしていたのかを語り合うという新企画になります。
芸人の成長を年齢で比較するとのこと。
人それぞれにターニングポイントになった時とか、その人のその時に自分に何があったのかとかいろいろトークの繋がりにはなっていきそうな感じはしましたがめちゃくちゃ面白かった!
やっぱりそれぞれに歴史がありますし、しかも共通項もあったり。
◆年齢トーークの芸人
- 出川哲朗:58歳
- 堀内健(ネプチューン):52歳
- 濱口優(よゐこ):50歳
- 伊達みきお(サンドウィッチマン):47歳
- 後藤輝基(フットボールアワー):47歳
◆ゲスト
- 博多大吉(博多華丸大吉):51歳
- 兼近大樹(EXIT):30歳
▽目次です▽
- 今回のアメトーークの最年少は47歳!
- その年齢のメンバーは何年前?
- 出川の歴史
- ホリケンの歴史
- よゐこ濱口の歴史
- フット後藤の歴史
- サンドウィッチマン伊達の歴史
- 博多大吉の歴史
- 蛍原の歴史
- 年齢トーク余談
今回のアメトーークの最年少は47歳!
- 今回がトークテーマだけに見事におっさんの集まりの回。
- 後藤は今回最年少。「最年少で登場することはない!」⇒伊達と一緒に最年少。47歳!
- 大吉先生は趣味で偉人やタレントなどのおのおのの年齢で何をしていたのかを調べている。
- 大吉はその本を出版「年齢学序説」←「これが面白いのよ!」と蛍原。
- 大吉先生は51歳。⇒豊臣秀吉は51歳で刀狩を発令した。
- ホリケンは52歳。⇒スタジオでは「年齢不詳」や「若い」の声が出るが、「体はガタきてる。昨日も鼻血が出て1時間止まらなかった」
◆◇◆ ◆◇◆
ホリケンさん若いですよね~。
芸風もああいう感じですし、大喜利力も衰えてませんからすごく若く見えます。
でもボキャブラ時代からの人気芸人ですから、考えたら年取ってますよね。
爆笑問題やくりぃむしちゅーも同年代ですから。
大吉先生の本、ぜひ読んでみたいと思いました。
こういうの面白いですよね。
自分と重ね合わせても楽しい。
その年齢のメンバーは何年前?
①22歳
- 出川:36年前(1986年)
- ホリケン:31年前(1991年)
- 濱口:28年前(1994年)
- 伊達:26年前(1996年)
- 後藤:26年前(1996年)
- 22歳:一般的には大学卒業して就職するような年。
- 22歳はキン肉マンで言うとアシュラマン。(大吉)
- サザエさんは24歳。波平さんは53か54の50代⇒「波平さん年下?」と驚く出川。
- 22歳当時の仕事の順調度:濱口、出川、堀内、後藤、伊達の順。伊達は「0」の状態。
②26歳
- 出川:32年前(1990年)
- ホリケン:27年前(1995年)
- 濱口:24年前(1998年)
- 伊達:22年前(2000年)
- 後藤:22年前(2000年)
- 現在の26歳はラランド・サーヤ。
- 26歳当時の仕事の順調度:ホリケン、濱口、出川、後藤、伊達の順。伊達はようやくスタートライン。
③30歳
- 出川:28年前(1994年)
- ホリケン:23年前(1999年)
- 濱口:20年前(2002年)
- 伊達:18年前(2004年)
- 後藤:18年前(2004年)
- 現在の30歳は兼近、宮下草薙・草薙、ハナコ秋山など。
- 30歳当時の仕事の順調度:濱口、堀内、後藤=出川、伊達の順。伊達はまだまだ下の方。
出川の歴史
出川の22歳
- 出川は22歳で映画デビュー。元々は俳優志望。⇒この年に劇団SHA・LA・LAを結成。主宰が出川だった。ウッチャンナンチャンも所属。
- 出川はフリーでマセキ所属前。ウッチャンナンチャンは学生時代からマセキに所属。
- 出川も背の小さい女の子とペンギンズ・ぱーというコンビを組んでいた。
出川の26歳
- 『ウッチャンナンチャンwithSHA・LA・LA』が始まったのが26歳。初のレギュラー番組。
- この番組のおかげでバイトを辞められた。
- 風呂なしから風呂ありのマンションに引っ越した。
- 『ウッチャンナンチャンwithSHA・LA・LA』の特番で『ガキの使い』との合体があった。
- その時にジェットコースターに乗る企画で出川がすごく怖がった。⇒それが面白いということで、ダウンタウンから「今度この子貸してよ」と言われて『ガキの使い』に呼ばれた。
- その後も次々とリアクションをさせられてウケたために、リアクション芸人になった。
- 26歳はリアクション芸人のスタート。
- 出川もボキャ天経験あり。キャッチフレーズは「自称ポストタモリ 出川哲朗」
- 出川曰く、ワーキャー大人気だったのはウッチャンナンチャンとダウンタウン。その後はナイナイとネプチューンだけ!
出川の30歳
- この前の年の29歳で『お笑いウルトラクイズ』で優勝。
- その後わかりやすいぐらい芸人人生が変わった!⇒「今あるのはその番組のおかげ!」
- 『電波少年』にも出てリアクション芸人一直線。
- 当時の出川はヤンキーに絡まれ放題。⇒『電波少年』の弊害で出川狩りや松村狩りが一般にも浸透⇒自宅にも来られた。
ホリケンの歴史
ホリケンの22歳
- 原田泰造と一緒に「フローレンス」というコンビで活動。
- コンビ名の由来は泰造が東村山でよく利用していたラブホテルから命名。
- テレビはまだ出ておらず、ライブに出ていた。
- 新宿の公演でジャッキー・チェンの型の練習を2人でずっとしていた。
- 当時「フローレンス」というヤバいコンビがいると言われていた、と濱口。
- 生放送でマラソンの企画があり、ウッチャンがわざと途中から入って1位になるというコントをしたかったのだが、フローレンスの2人がウッチャンを抜いて1位に。⇒途中2人で道を間違えたら、ウッチャンが道間違えてるよと教えてくれた。
- 何も知らず普通にマラソンをして1位になったフローレンスを見て、当時プロデューサーだった片岡飛鳥に「なんだコイツら!」と激怒。
ホリケンの26歳
- 『ボキャブラ天国』をやっていた頃。大人気に!
- ボキャブラの前は営業やっても人が集まらなかった。営業が中止になることも。⇒ボキャブラ出演後は営業に行くと、客が集まりすぎて中止に!
- 1993年にフローレンスから、名倉を入れてのネプチューンを結成。
- 当初ホリケンは先輩の名倉が怖くて嫌がった⇒泰造にピンになるか3人組になるかと迫られ、すごく悩んだというホリケン。
- 地元のナカゴメくんという友達から1人とトリオのどちらがいい事、悪い事が多いか書き出してごらんと言われて書き出してみた⇒トリオの方がいい事だらけで悪い事が少ない!
- トリオにしたらボキャ天で大ブレイク。「電光石火の三重殺(トリプルプレイ) ネプチューン」
ホリケンの30歳
- 28歳で『笑う犬の生活』が始まり、30歳で『おネプ!』も始まった。
- 『笑う犬の生活』での「ホリケンサイズ」が2002年に発売。
ホリケンから名倉へのメッセージ
日テレの廊下を歩いて、楽屋を目指して歩いているんだけど、楽屋を見てるんだけど、楽屋を狙って楽屋に入ろうとするんだけど、通り過ぎちゃう。
心配だ!
潤ちゃん、これからもよろしく!
よゐこ濱口の歴史
濱口の22歳
- ちょうど上京した頃で、ナイナイ・極楽と一緒にやっていた『とぶくすり』が終わり、『とぶくすりZ』が始まった頃。
- 濱口は『めちゃモテ』には出ていない⇒共演者(本田みずほ)と付き合ってしまったので外された。⇒片岡飛鳥が激怒しての降板。
- その後『UNFACTORY カボスケ』というウンナンの冠番組によゐこが出演。
- 東京でずっと仕事があった⇒「よゐこは早かった」と蛍原。
- 18歳でデビューして3ヵ月でテレビ出演。⇒フジテレビの番組オーディション『新しい波』に受かってそのまま東京へ。
- 大阪での活動は2~3年。よゐこの前は「なめくぢ」というコンビ名だった。⇒シュールなコントで絶大な人気だった。
- 若い頃は濱口の意見で出川と絡みたくなくNGだった。⇒後に「隊長」と呼ぶようになった濱口。
濱口の26歳
- よゐこは初期のボキャ天に出ていたが面白くなくて降ろされた。
- ボキャ天でのよゐこのキャッチフレーズ「燃えない闘魂 よゐこ」
- 24歳で『めちゃイケ』開始。
- 26歳の時には人気番組の『めちゃイケ』と『ウリナリ』のレギュラーだった。
- 出川曰く当時の濱口はものすごくモテてて、番組の共演者も食べていた。⇒「どういう手口なの?」と濱口に聞くホリケン。
濱口の30歳
- 『めちゃイケ』のイメージが強いが、29歳から『黄金伝説』に出演。
- 30歳の時にはゴミ屋敷企画や1ヵ月1万円生活をやっていた。
- 31歳で海に行く企画で「獲ったどー!」誕生。⇒「濱口は『めちゃイケ』『ウリナリ』『黄金伝説』!?全部人気番組!」と蛍原。
フット後藤の歴史
後藤の22歳
- 後藤はまだカスの生活。
- 20歳でNSCに入る⇒「後藤・天満」というコンビを組む⇒オーディション受けるが受からない。
- 仕事もないし金もない。⇒NSCの同期の女性と交際⇒女性の家に転がり込んで、家賃も払わずヒモ状態。バイトもせず。
- 彼女が仕事に行くと同時にゲーム開始⇒「ファイナルファンタジー」をプレイ。⇒彼女が帰ってくるまでずっとゲーム。
後藤の26歳
- 2年前の24歳で岩尾とフットボールアワーを結成。
- コンビ組んで1年以内で「ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞」を受賞。
- その後何年もかけて在阪の賞は全部受賞!⇒「NHK上方漫才コンテスト」「上方お笑い大賞」「MBS新世代漫才アワード」「上方漫才大賞」
- この頃からはバイトもせず、お笑いだけで食べていけていた。
- ファイナルファンタジーの彼女とは東京に行くと言って1人で行って、男作って別れた。
後藤の30歳
- 29歳でM-1優勝。30歳で上京。
- 当時は大人数のひな壇。⇒前に出られずカリカリしていた時代。
- 岩尾は自分の出番じゃないと4時間の生放送で一言も喋らない時もあった。⇒一言も喋らないのにベンツに乗って帰る。
- 方向性の違いで、フットボールアワーのコンビの仲がギクシャクした時期。
- 大喧嘩をすると岩尾がスーッと涙を流す⇒そういうのが3回くらいあった。
- 当時のフットボールアワーは岩尾。後藤は全くの「じゃない方芸人」だった。⇒岩尾は多忙。
- 兼近がこの間のクイズ番組でフットボールアワーの2人が顔を見合わせてとても楽しそうだった、と話す。不仲の話を聞いて、それがあっての今なんだと嬉しくなると話す。
後藤から相方・岩尾へのメッセージ
結成してどのくらいになりますかね。
途中なんか仲が悪くなったこともありましたが、今は楽しくやらせてもらってます。
これからもずっと漫才やっていきましょうね。
サンドウィッチマン伊達の歴史
伊達の22歳
- 当時はまだ圏外。お笑いをやっていない。
- 19歳から5年間会社員をしていたのでサラリーマンだった。福祉用具の販売員。
- 芸人としては「0」だが、19歳から働いているため人生としては「100」。
- お笑いのことは全く考えていなかったが、富澤からは誘われている感じ。
- 富澤は別にコンビ「ゆやゆよん」を組んでおり、仙台の吉本の劇場に出ていた。⇒伊達は観に行って面白いと思っていた。
- 伊達は父親のコネで入社した関係上、5年は仕事を続けてくれと言われていた。
伊達の26歳
- お笑い芸人になって2~3年が26歳の頃。
- 上京してまだまだ絶賛バイト中の生活。
- 富澤とは一緒に同居していた。寝室も一緒。⇒ケンカもしなかったし、揉めもしなかった。
- 最初は3年という約束の同居だったが10年同居。
- 26歳のターニングポイント的なことは何もない!⇒「何かあるはずだから探しといて」と大吉。
伊達の30歳
- ようやくテレビ出演。『エンタの神様』でコントを披露。
- テレ朝の『虎の門』で漫才を初披露。それが31歳。
- ここからネタ番組呼ばれるようになった。
- まだ全然お笑いだけでは食べていけず、週2でバイト。
- 登録制のバイト:他人の家の留守番、草野球の代打⇒それぞれ8000円も貰えた。
伊達のその後
- 伊達だけ30歳まででブレイクしなかったため、その後を追加。
- 33歳でM-1優勝。
- 35歳でキングオブコントを準優勝。⇒「そこからいろいろ呼ばれるようになりました!薄っ!」
博多大吉の歴史
大吉先生の22歳
- 19歳の時に福岡吉本でデビュー。とんとん拍子で仕事が入った。
- 22歳の時には福岡ローカル番組『とことんさん』のMCに抜擢。
- 女性人気もあった。
大吉先生の26歳
- 芸人にとって大事な26歳の時に、吉本の社員のゴタゴタに巻き込まれて1年間活動休止。
- 26歳の大吉がやったことは暇だからネタを書き始めた。それまでは華丸がネタを書いていた。
- その後『オンエアバトル』で大吉のネタでウケた。⇒役割が変わった年。
蛍原の歴史
蛍原の22歳
- 雨上がり決死隊を21歳で結成。
- 22歳の時、2丁目劇場の新人コーナーのオーディションがあった。⇒合格しなければコンビも考えようとなっていたが、合格。
蛍原の26歳
- 天然素材という一斉風靡したお笑いダンスユニットに所属。⇒雨上がり、ナイナイ、FUJIWARAなど。
- スゴイ人気だったため1人に1人の警備員がついていたくらいのアイドルぶり。蛍原にも付いていた!
蛍原から元相方・宮迫へメッセージ
後藤、ホリケンと相方へのメッセージがあり、兼近から蛍原を指名。
今宮迫が焼肉屋やラーメン屋で炎上しているとみんなが蛍原に説明。
まあ本当に、まあいろいろあると思いますが、お互いに頑張りましょう!
(みんなから焼肉屋かラーメン屋を予約した方がいいと言われ)
焼肉屋を出川さんと一緒に行くんで予約しておいて貰えますか?
(席がテーブル席とお座敷があると言われ)
お座敷であんまり目立たない方が…。
年齢トーク余談
- 22歳で1番売れたのは有吉
- 大吉はこの世代で1番売れたのは誰だろうと思って調べたところ、有吉と判明。
- 猿岩石の「白い雲のように」のミリオンセラーは22歳。
- 後藤と伊達は有吉と同級生。
- 大吉が年齢に興味を持ったのが26歳が芸人のターニングポイントと知ったから。⇒それが26歳。
- ダウンタウンは26歳の時に『ガキ使』、ウンナンは『やるならやらねば』、とんねるずは『みなさんのおかげ』。
- ビートたけしがツービートを組んだ時も26歳。
- タモリが芸能界に入ったきっかけとなった山下洋輔と出会ったのが26歳。
- さんまがブラックデビルをやったのが26歳。
- EXITを組んだのも26歳だと兼近。
◆◇◆ ◆◇◆
すっごく面白かったですし、お笑い好きにはたまらない回でしたね。
ホトちゃんが宮迫さんへのメッセージはラストだったんですけど、なんだかんだと常に炎上し続けているので、加地さんが気の毒に思ったのでしょうか。
ぜひ出川さんと一緒に行ってあげてください。
宮迫さん動画回しそうですけど(笑)。
あと番組でも指摘されてましたけど、出川さん、ホリケンさん、濱口さんは本当にずーっと売れてますよね。
多少の波はあるでしょうけど、ずっとテレビに出続けていてスゴイです。
よゐこはYouTubeも面白いですよね。
有野課長の係長時代からの『ゲームセンターCX』の大ファンです。
昔はゲームクリエイターのインタビューの時もありましたし、有野課長は『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』をべた褒めしてくれてましたっけ。
ビデオで録画しているので簡単には見れないのですが、DVDに落とし込もうかな。
元任天堂社長の岩田聡さんとの対談回もありましたよね。
なんかいろいろ思い出しちゃいました。
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