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激レアさんを連れてきた 龍岡歩 サッカー経験ゼロでJリーグのサッカー戦術分析官に!海外サッカー観戦はゲームで代用

2021年11月15日放送の『激レアさんを連れてきた。』を見ました。
今回の激レアさんは「運動神経ゼロでスポーツ経験もないのにサッカーゲームを年間1000試合やったら誰よりも戦術に詳しくなり、結果Jリーグからスカウトされちゃった人、タツオカさん(龍岡歩さん)」です。

 

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若林さんが冒頭で「プレイヤーではないですよね。そりゃそうですよね」と言ってましたけど、さすがに運動神経ゼロでサッカー選手はないかと思います。
でも、過去に試合に出ないサッカー選手もいたからなぁ(笑)。
なにが起こるかわからないのが世の中の妙だったりします。


しかし、サッカー好きすぎるということでもいいことありますよね。
夢がある!


◆ゲスト

  • 西畑大吾(なにわ男子)
  • 澤部佑(ハライチ)


▽目次です▽

 

タツオカさんの仕事

  1. Jリーグのチームの頭脳として働いていた。
  2. 今年2022年6月。実質リーグ5部「おこしやす京都AC」がJ1の「サンフレッチェ広島」と対戦。⇒結果5-1でおこしやす京都の勝利!
  3. その時戦術を考えたのがタツオカさん。
  4. タツオカさんの仕事:戦術分析官(チームの戦力・相手チームの状況を分析。最善の戦略を提案)。
  5. 戦略会議では、タツオカさんの戦術を必死にメモする監督。
  6. おこしやす京都ACの瀧原監督は「知識の数はハンパない」とタツオカさんを評価。

 

 

 

日本一のサッカーマニアの誕生

  1. 小学時代は体育でやるサッカーが大嫌いだった。⇒運動神経が悪かった。
  2. サッカー嫌いのタツオカさんは93年のJリーグ開幕戦の初ゴールを目にし、「なぜあんなゴールが生まれるのか?」とものすごく気になった。
  3. 何らかの戦略があるのではないか、と考えた。
  4. タツオカさんは小さい頃から気になることがあると、良く眠れない体質。
  5. 翌日お小遣いを全て費やして、VHSテープを40本購入。
  6. お小遣い5年分を前借りして、ビデオデッキ4台とモニター2台を購入。
  7. そして1日に行われる全ての試合を同時録画。
  8. 気になったプレーはスローでチェックし、ひたすらプレーの研究に没頭。⇒1日3試合は必ずチェック。
  9. それが94年の中1の時だった。当時は一人で研究してひとり言を言っていただけ。
  10. 当時は解説者の説明に納得いかず、ランク付けを勝手にしていた。⇒テレ朝がお世話になっている松木さんのランクは言いづらい。

 

海外サッカーをゲーム「実況 ワールドサッカー」で代用

  1. 1994年にはサッカーワールドカップが行われた年。
  2. 海外サッカーを初めて目にしたタツオカさんは海外サッカーをもっと観たいと思うようになる。
  3. しかし、当時は海外サッカーを観ることは難しかった。
  4. そこで出会ったのが、ゲーム「実況 ワールドサッカー」(1994年発売・コナミ)
    「実況 ワールドサッカー」は選手の名前が実名ではない。
  5. タツオカさんは全24ヶ国分の選手名を6時間かけて実名に書き換えた。
  6. 渋谷のサッカー専門ショップに海外試合のビデオが数百本並んでおり、それをモニターに映していた。それを開店から閉店まで観ていた。そこで選手名をメモ。
  7. お店の人と仲良くなり、観たい試合をモニターに流してもらったり、ランチは一緒に行っていた。
  8. ゲームのフォーメーションも6時間かけて再設定。⇒選手の動きの癖や、1マス右か左かを悩んだりした。完全に選手の癖を設定しないと気が済まない性格だった。
  9. タツオカさんは海外サッカーを観たいだけなので、「実況 ワールドサッカー」ではCPU対決を観ていた。⇒1日3試合。
  10. タツオカさん曰く、人がプレイしているのを分析するのが一番の楽しみ。
  11. タツオカさんは一人で実況と解説をしていた。
  12. タツオカさんは「実況 ワールドサッカー」をプレイしたことは1度もない!
  13. 当時のタツオカさんは全てのJリーグの試合(録画含む)を1000試合、実況ワールドサッカーの試合を1000試合⇒年間2000試合以上を観戦。←「実際とゲームを足しちゃうんだね」と若林。

 

タツオカさんの一大決心 ヨーロッパ・南米に行く

  1. このサッカーの研究は誰かにひけらかすこともなく、孤独に行っていた。
  2. 高校を卒業したタツオカさんは一大決心⇒自分の分析が合っているのかを確かめに、ヨーロッパ・南米に行く。
  3. 就職も大学進学もしない決断。⇒海外サッカー放浪の旅へ。⇒期間は9年!⇒行って帰国してバイトして行って、の繰り返し。
  4. その時もサッカーを仕事にしようとは思っていなかった。プレーができないので需要があるとは思えなかったから。
  5. サッカー観戦は自分の趣味で、それが自己満足だった。
  6. 9年後にサッカー観戦の旅を終え、27歳でサッカーのユニフォームショップに就職。⇒サッカーは趣味として楽しんでいたタツオカさん。

 

 

 

運命のスカウト

  1. ユニフォームショップはタツオカさんの地元のお店。
  2. 就職の面接の時に、サッカーの戦術について2時間も熱く語りまくった。
  3. 就職した初日に、その熱意を買われて即店長に抜擢。初就職で店長。
  4. コレクター向けのショップだったため、タツオカさんのキャラに合っていた。
  5. ショップ売り上げのためにブログを開設。
  6. ショップの情報を掲載していたが誰も読んでくれない。
  7. 見向きもされないストレス発散のために、サッカーの日本代表の戦術分析の記事を投稿。30ページの2万字の大作。
  8. その後、毎日30ページ以上の試合の戦術分析を掲載し続けた。
  9. ある日タツオカさんに1通のメールが届く。⇒J3の藤枝MYFCクラブのオーナーからのスカウト。
  10. ここで自分がスゴイのかも、と初めて気づく。
  11. J3の藤枝MYFCの戦術分析官として入団。

 

Jリーグで結果を出すタツオカさん

  1. チーム合流後の会議で、調子に乗って戦術分析を延々と30分1人で喋って、胸ぐらを掴まれて怒られたこともある。
  2. ここでチームワークの大切さを初めて知ったタツオカさん。
  3. 団体行動の大切さを痛感し、学んで成長。
  4. チーム入団から3年後。藤枝MYFCのチーム得点力が約2倍に上昇。
  5. さらにスカウト業務も任せられるようになった。
  6. 6年間、藤枝MYFCに在籍後、下部のチームをJリーグにあげてみたいと思うようになった。
  7. おこしやす京都ACの戦術分析官に就任。
  8. 最初の使命は天皇杯で下克上。天皇杯はプロ・アマが一緒に出場し頂点を決めるタイトル。
  9. タツオカさんの天皇杯下克上の戦略:ボールを持っている方がミスを犯しやすいという海外では主流の下克上作戦を起用。
  10. 2回戦がJ1のサンフレッチェ広島。⇒奇跡の勝利!格上チームに戦術で勝った。

 

 

◆◇◆ ◆◇◆


ラベリングは「胸ぐらを掴まれたことのあるサッカー界の諸葛孔明」(激レアさん No.276)でした。


◆◇◆ ◆◇◆


めちゃくちゃ面白かったです。
激レアさんらしい激レアさんでした。


ゲームばかりしていて戦術家になったわけではなく、あくまでも試合を観る1つのツールがゲームだったんですね。
でもコナミもCPUvsCPUが生かされていたと知ったら嬉しいのではないでしょうか。


激レアさんあるあるですけど、何事も異常な程の愛情でそれに取り組むというのは道が開けることもある、ということですよね。
単なるサッカーが詳しい人からプロの戦術分析官になったわけですから夢があります。
好きこそものの上手なれと継続は力なりの合わせ技でしょうか。


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