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激レアさん 2月15日 古谷敏 初代ウルトラマンの伝説のスーツアクターの撮影秘話が過酷だった

2020年2月15日放送の『激レアさんを連れてきた。』を観ました
今回の激レアさんは「本当は嫌々中に入っていた初代ウルトラマンのスーツアクターで、ウルトラマンの動作から必殺技までその場のアドリブで作り出した人、フルヤさん(古谷敏さん)」です。

 

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フリー写真素材 フォトスク

 

 

これは特撮の裏話の宝庫な予感がします。
ヒーローものを好きな方は多くてもガチオタではない限り、こういう方のお話は新鮮です。
ガチオタの方はガチオタで、「そうだよね~」と頷きながら楽しめるという。

 

ダンディーなオジサマ風ですけど、きっとおじいちゃんな年齢ですよね。
お若い!!!!


◆ゲスト

  • 白石麻衣さん(乃木坂46)
  • 濱口優さん(よゐこ)

 


▽目次です▽

 

 

フルヤさんの経歴

  1. 東宝第15期ニューフェイスで役者デビュー。
  2. 身長185cmのモデル体型。
  3. 夢は恋愛映画の主演。
  4. 憧れのスターはジェームズ・ディーン。
  5. 俳優の仕事は全然なかった。
  6. 理由は当時では身長が高すぎで、手足が長すぎた。主演俳優が小さかったためデメリットだった。
  7. 同じく東宝ニューフェイスで東宝に入社したニイノさんは俳優から裏方になっていた。
  8. 同期のニイノPから仕事の依頼が来る。
  9. その役は円谷プロの伝説の作品『ウルトラQ』に登場する宇宙人・ケムール人だった。
  10. 全然ノリ気ではないフルヤさんだが、ケムール人のスーツはピッタリだった。「シンデレラフィット」(by若林)
  11. 嫌だったが断れない性格のフルヤさんにとって、これがスーツアクターへの第1歩となった。


◆◇◆ ◆◇◆


『ウルトラQ』って白黒の映像ですけど、いまだに根強い人気がありますよね。
ナレーションは石坂浩二さん。
あの独特な音楽も雰囲気があって、不思議な世界観を醸し出してました。
特撮に詳しいわけではないので、ケムール人と聞いてもピンとは来ないですけど、あの時代を生きた人なんだなぁと興味津々。

 

 

 

地獄のスーツアクター

  1. 初めてのスーツアクターはケムール人。それが地獄だった。
  2. 灼熱地獄:スーツがゴムのためにとにかく暑い!
  3. 頭部が重すぎ地獄:頭部は8kgもあった。理由はケムール人は目玉が3つあり、それを動かすモーターと電池がぎっしり詰まっていたから。
  4. 空気イス地獄:休憩時間にはイスも用意されず、雑な扱いを受けていた。
  5. フルヤさんの初出演の『ウルトラQ』は第19話「2020年の挑戦」
  6. ケムール人の演技プランがわからず、走り方や巨大化の演技などフルヤさんが考案。
  7. 無事撮影が終了し、着ぐるみの辛さを思い知ったフルヤさん。二度と着ぐるみは着ないと誓う。
  8. しかしニイノPから次の依頼が来て引き受ける。それが怪獣ラゴン。


◆◇◆ ◆◇◆


映像が出てました。
面白かったですし、「2020年の挑戦」というのも運命的。
狙ったわけではないでしょうけど、スタッフの方々は「おお!」と感じたかも。
55年も前の頃って、2020年どういうイメージだったのでしょう。

 

 

ウルトラマンへの道

  1. 初代ウルトラマンの放送開始は1966年。
  2. 美術総監督の成田亨さんがフルヤさんの元にやってくる。成田さんはウルトラマンや怪獣などのデザインを手がけた方。ウルトラマンの礎を築いた方!
  3. 成田さんはフルヤさんにしか出来ないヒーローが生まれたと言って説得。フルヤさんの体型に合わせてデザインをしたヒーロー。
  4. それがウルトラマン!「君は今日からウルトラマンだ!」
  5. 当時でメリットだった身長の高さや手足の長さがスーツアクターとしては最適だった。
  6. 断れないフルヤさんは渋々引き受ける。


◆◇◆ ◆◇◆


フルヤさんの当時のデメリットが生かされたんですね。
よく考えたら、ウルトラマンってスタイルいいですよね。
細身でカッコいい。

 

 

 

超過酷なウルトラマン撮影伝説

  1. ウルトラマンの動きに関しては制作側はノープランだった。
  2. 怪獣と戦うヒーローが当時の日本では前例がなかったため、アイデアがなかった。
  3. 脚本の先生に相談に行くと、「自分なりのフルヤウルトラマンを作ればいい」と言われた。
  4. 最初に悩んだのが敵の怪獣と対峙した時の姿勢。フルヤさんはジェームズ・ディーンをマネる。これが画角に収まると大好評。
  5. ウルトラマンの必殺技スペシウム光線もノープランだった。脚本のト書きには「光線発射」とだけ書かれていた。
  6. これもフルヤさんは力道山をマネることで乗り切る。フルヤさん曰く、縦の右手は添えるだけで、左手は反る!これがポイント。
  7. これがウルトラマンの代表的なポーズとなった。
  8. 怪獣バトルで傷だらけになるという問題があった。
  9. 牙や角は硬く作られているが、ウルトラマンのスーツの素材はペラッペラ!
  10. フルヤさんはチョップをしたり、殴ったりするのが痛くて辛かった。
  11. 第3話の怪獣ネロンガ戦では、初代ゴジラを演じた伝説のスーツアクター、中島春雄さんがネロンガに入った。中島さんはスーツに入るとゴジラ魂がつき、リハーサルでも本気で殴ってくる。本番では手の攻撃はせず、足技でネロンガをやっつけた。
  12. 中島さんは本当に素晴らしいスーツアクターとのこと。ネロンガのような怪獣を着てあれだけ動きが出来るのはスゴイとフルヤさん。
  13. 正直怪獣は臭い:シンナー、ゴム、汗の臭いが充満。
  14. やたらと水に入れられるという問題もあった。水に入ると仮面に水が入ってくるため2秒ともたない。
  15. フルヤさんは「僕死にますからウルトラマンを辞めます!」と監督に申し出て水に入ることはなくなった。
  16. ウルトラマンのスーツは全身のウェットスーツのようなもの。体を締め付け、熱もこもり気持ち悪くなってしまう。カットのたびに外で嘔吐していた。


◆◇◆ ◆◇◆


着ぐるみはしんどいですよね。
1度だけ着ぐるみを着るバイトをしたことがありますけど、死にそうでした(笑)。
冬だったからまだいいですけど、あれは夏は出来ない。
友人は夏もバイトしてたなぁ。
今はどうかわかりませんけど、バイトをしていた時に来た着ぐるみは臭かったです。
そしてあまり割りのいいバイトじゃなかったなぁ。。。(遠い目)

 

 

 

ウルトラマンの悩み…降板の決意

  1. 代役がいないという重圧もあった。フルヤさん1人しかいないため、熱が出ても怪我をしても出ないといけないプレッシャーがあった。
  2. 顔出しがNGという悲しみもあった。
  3. スーツアクターではない科学隊員の俳優さんは顔出しをしていた。
  4. 後輩や同期の俳優だったため、なぜ自分は顔出しOKの側にいけないのだろうと苦しんだというフルヤさん。
  5. 精神的に辛くなり疲れも生じていたフルヤさんは、ウルトラマンを降板する決意をする。
  6. 決意の翌日撮影のためにバスに乗車。そこにいた小学生からウルトラマンがカッコいいと話していた。ハヤタ隊員ではなく、ウルトラマンがカッコいいと言ってくれたことが何よりも嬉しかったというフルヤさん。
  7. そのバスを降りた時、フルヤさんはバスが見えなくなるまでずっと頭を下げていた。子どもたちへの感謝をこめて「ありがとう!」
  8. フルヤさんはウルトラマンを続ける決意をした!
  9. ウルトラマンは9ヵ月の放送期間中、最高視聴率42.8%だった。


◆◇◆ ◆◇◆


やっぱり子どもたちにとってはウルトラマンがヒーローですよね。
現実に存在していると思って真剣にテレビを見ていたんだと思います。
その正直な子どもたちの声に出会えたことが、フルヤさんを救ったんですね。
感動。

 

 

 

フルヤさんがどん底生活に…そして世界中で大人気に!

  1. フルヤさんは『ウルトラマン』終了後俳優を辞めて起業。28歳だった。
  2. しかし会社は倒産しどん底に。
  3. 清掃業やアルバイトで食いつなぐこと15年間。
  4. いつものようにアルバイトをしていた時のこと。アメリカのイベント主催者から連絡が入る。シカゴへのイベントへの出演依頼だった。
  5. ウルトラマンは半世紀の間、100を超える国と地域で繰り返し放送されていた。
  6. フルヤさんのオファーはアメリカだけではなく、他のいろんな国からも来た。フルヤさんの知らないところでファンは増え続けていた。
  7. フルヤさんはフルヤさんは今では世界のどこへ行っても大人気!
  8. どん底から救ってくれたファンのために、世界中を飛び回っている。
  9. 日本では顔出し俳優の方に人気がいきがちだが、海外ではスーツアクターへの敬意が強い。
  10. コスプレブームが広がっているのもあり、フルヤさんは世界中のイベントで引っ張りだこ。
  11. いろいろもがき続け、嫌々やっていたウルトラマンのフルヤさん。紆余曲折を経て、まさに「帰ってきたウルトラマン」!


◆◇◆ ◆◇◆


ラベリングは「帰ってきたケムール人の人」(激レアさん No.139)でした。

 

弘中ちゃんが「帰ってきたウルトラマン」とオチをつけたので、若林さんがラベリングはそれでいいとしてました(笑)。
でも無理やりラベリングを振られて出たのが、上記のラベリングです。

 

やっぱり子供のヒーローっていつまでもヒーローですよね。
大人になっても、ヒーローを目にしたら大きなお友達になって目がキラキラします。
年齢もお若くはない年齢でしょうから、いつまでもお元気で。
そして、1人でも多くの世界中のファンを笑顔にして欲しいです。
いいお話でした。

 

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