2019年12月28日にテレビ朝日で『ファン10万人がガチで投票!戦国武将総選挙』が放送されました。
今回のテーマは戦国武将。
誰が1番人気があるのかを投票で決めようという企画。
いつも通り10万人がガチで投票しています。
私の予想は断トツ1位で織田信長だと思いますが、はたしてどうでしょうか。
ゲストの方で織田信長以外を上げいている人も多いのがいいですね。
信長だと普通なので(笑)。
そして、徳川家康、豊臣秀吉も何位でしょう。
『麒麟が来る』が控えている明智光秀もどうなのでしょうか。
気になるのは真田幸村、伊達政宗が何位かということ。
ベスト10に入るといいなぁと思います。
サンドウィッチマンの伊達さんがコメントしてくれるかな?
戦国武将は思い入れが強い人も多いので、熱いコメントが楽しみです♪
◆MC
爆笑問題(太田光さん・田中裕二さん)
◆ランキングポイント
1位100pt、2位80pt、3位60pt、4位40pt、5位20ptで集計。
▽目次です▽
番組出演者の1位予想
MCの爆笑問題の2人とゲストの方々の予想はこうでした。
▽
- 太田光(豊臣秀吉)
- 田中裕二(織田信長)
- 高橋英樹(織田信長)
- 高畑淳子(真田信繁(幸村))
- 瀧本美織(上杉謙信)
- ビビる大木(山内一豊)
- 福本大晴(石田三成)
- 山崎怜奈(織田信長)
- 黒田基樹(北条氏康)
- 本郷和人(立花宗茂)
『戦国武将総選挙』20位~16位の戦国武将
◆20位 上田景勝
- 越後(新潟)
- 1555-1623:享年69。
【ここが魅力】
- 戦国の猛者・上杉謙信の養子で後継者。
- 家臣には直江兼続、前田慶次、真田信繁(幸村)という戦国スターに慕われた武将。
- 豊臣秀吉からも信頼され会津の領主も任された。
- 関ヶ原の戦い後領地が没収され石高が4分の1(会津120万石⇒米沢30万石)になるが、家臣たちは上杉景勝についてきた。
- 寡黙で真面目。謙信の「義」を重んじる心があり、そういうところに家臣が惹かれた。
【選んだ理由】
- 親しみを感じる。
- 相手の気持ちを重んじる。
- 人間くさい。
- 義理に厚い人。
◆19位 竹中半兵衛
- 美濃(岐阜)
- 1544-1579:享年36。
【ここが魅力】
- 腕っぷしより頭で成り上がった頭脳派武将。
- 豊臣秀吉の軍師として活躍!
- 織田信長が家臣にしたいと欲した頭脳。
- 若くして天才ぶりを発揮、16人で稲葉山城を奪い取った。弟に病気のフリをさせ見舞いを装い入城⇒敵が大勢いると思わせる⇒城主斎藤龍興を逃がす⇒城主がいなくなれば「城が落ちる」
- 病のため3死亡。享年36。
◆18位 真田昌幸
- 上田(長野)
- 1547-1611:享年65。
【ここが魅力】
- 武田信玄の側近として仕えていた。
- 武田家が滅びると、織田・徳川・豊臣など数々の武将の元を渡り歩く。その時の強き者に従う強さ。
- 付いた異名は「表裏比興の者」「食わせ者」。真田の家来や家族の生活を守るために必死だった。
- 関ヶ原の戦いでは、兄信之を徳川(東軍)に、弟信繁(幸村)を豊臣(西軍)につかせ、どちらが勝っても家が残るようにした。
- 真田家に伝わる口伝「死にまで生きよ」⇒生に固執しなさい、という意味。
◆17位 井伊直政
- 遠江(静岡)
- 1561-1602:享年42。
【ここが魅力】
- 真っ赤な鎧で「井伊の赤鬼」と恐れられた。
- 強さは徳川家康のお墨付き。異例の若さで徳川四天王に!
- 関ヶ原の戦いでは奮闘するも負傷。その傷が元で死亡。享年42。
- 目立ちたがり屋でアピール好き。
- 滋賀県彦根市のゆるキャラ、ひこにゃんの兜は井伊直政がモチーフ。
◆16位 前田利家
- 加賀(石川)
- 1538-1599:享年62。
【ここが魅力】
- 織田信長に仕え、戦場では数々の大将の首を打ち取り、槍の名手。
- 信長に功績を認められ、加賀百万石の領地の礎を築く。
- 2002年NHK大河ドラマ『利家とまつ』の主人公にもなった石川の英雄。
- 6.3mの長槍を武器に、相手を叩きつける。
- ものすごい倹約家で、戦にそろばんを持っていくほどだった。兵糧や金銀の計算を自ら行った。
- 戦でも経済的にも先を読むことに優れていた。
『戦国武将総選挙』15位~11位の戦国武将
◆15位 毛利元就
- 安芸(広島)
- 1497-1571:享年75。
【ここが魅力】
- たった一代で中国地方を支配する大大名に成りあがった。
- 元就の知略・戦略を信長も恐れた。
- 最も有名な戦いは、世界遺産厳島神社での戦い。
- 2万vs4千という絶対的不利な状況での勝利。自分の一族と海賊の頭首を結婚させ、海賊を仲間にしていた。
◆14位 浅井長政
- 北近江(滋賀)
- 1545-1573:享年29。
【ここが魅力】
- 滋賀県北部北近江を治めていた武将。
- 織田信長の妹お市の方と結婚。織田信長とは義理の兄弟。
- 娘は豊臣秀吉の側室・茶々、徳川家光の母・お江。
- 義理の兄信長を裏切り、1570年姉川の戦いで織田軍に敗れる。3年後自害。
- 信長裏切りのきっかけは浅井と同盟関係だった朝倉を信長が攻撃したため。仲間を守るために裏切った。
- 米が取れない時には年貢を少なくするという、庶民に優しい長政。8合枡という枡がありそれを1升枡と見なしてくれた。
- 自害する前に部下に書いた手紙には、感謝が書かれていた。それは忠誠心の証明書となり、その後の君主に仕えることが出来た。
- 秀吉がお市の方を好きだったという史料はない。創作と思われる。
◆13位 前田慶次
- 米沢(山形)
- 1533-1605:享年73。
【ここが魅力】
- 大ヒット漫画『花の慶次』の主人公。
- 豊臣秀吉の時代、直江兼続と共に上杉景勝に仕えた。
- ついたあだ名は「天下一の傾奇者」。派手な衣装で権力に屈しない変わり者。
- 天下人・豊臣秀吉に頭を下げず、褒められた傾奇者。主君以外にが頭を下げない主義で、秀吉には頭を横に向けてお辞儀をするという無礼だったが、秀吉にその度胸を認められた。
◆12位 直江兼続
- 米沢(山形)
- 1560-1619:享年60。
【ここが魅力】
- 豊臣秀吉に家臣を勧誘されるが、上杉家に忠誠を誓い続けた。
- 徳川家康には領土を4分の1に減らされても、主君を見捨てない。
- 2009年に大河ドラマの主役に!愛溢れる人物で話題に。
- 「愛」と書かれた兜。
- 兼続の「愛」にはLOVEの意味ではない。愛染明王の「愛」。愛を司る神でもあるが、戦の神でもあった。戦に勝つという意味がある。
- 愛染明王は上杉謙信が帰依した神。愛染明王の化身として戦っていた。
【選んだ理由】
- 義理人情に厚い感じがする。
- 主君思い。
- 忠実なところ。
- 生きる姿勢が好き。
◆11位 加藤清正
- 肥後(熊本)
- 1562-1611:享年50。
【ここが魅力】
- 秀吉の家臣で虎を退治したほどの猛将。
- 今の熊本、肥後大名として熊本城、名古屋城、江戸城をつくった築城の名手。
- 西南戦争で西郷隆盛も熊本城は落とせなかった。
【熊本城の凄さ】
- 完璧な防御:反り返った石垣。
- 籠城に強い:食べられる城。①畳に感想した芋や蓮を入れた。②壁には干したかんぴょうを入れた。③矢は干しわらびで結んだ。④城の周りに銀杏。
- 丈夫な土台:震災にも負けない。
『戦国武将総選挙』10位~6位の戦国武将
◆10位 石田三成
- 近江(滋賀)
- 1560-1600:享年41。
【ここが魅力】
- 頭が良く、秀吉の右腕として支えた。
- 官僚的な立場から豊臣政権の基盤を作った。
- 関ヶ原の戦いで徳川軍に敗北と言われるがそれだけではない。
- 税金の不正を無くした武将。全国で1尺の長さが違っておりズルをする大名がいた。そこで検知尺を作った。
- 豊臣秀吉を頭脳で支えた武将。
- 関ヶ原の戦いで敗れた後、三成は大蛇の岩窟に隠れていたが見つかってしまう。
- 石田三成はお腹が弱く、子孫もお腹が弱い。
◆9位 明智光秀
- 丹波(京都)
- 生誕不明-1582
【ここが魅力】
- 天下人・織田信長の右腕として働き、京都近くに城下町を築く。
- 天下統一目前の信長を暗殺。本能寺の変。
- 本能寺の変から13日後に豊臣秀吉に討たれる。
- 2020年大河ドラマの主人公に抜擢された。
- 光秀は信長に通訳や礼儀作法を教える役目だった。そしてのちに仕えた。
- 光秀は軍隊をまとめるのが得意だった。鉄砲時代にいち早く対応し、それを部下に指示をしていた。
- 本能寺の変の1年前の書状には、信長への感謝の思いを部下に記していた。
- 部下想いの優しい男だった。戦で亡くなった武士に米を寄進するが、下層の武士にも同じ量の米を寄進していた。
- 信長の命で比叡山延暦寺を炎上させたのは、光秀だったが後悔をし西教寺を再建した。光秀の城、坂本城の総門を移築したと伝えられている。
- 400年以上守られた遺骨。地元の人には愛され続けている。
【選んだ理由】
- ミステリアスなところが好き。
- 本能寺の変など謎が多い武将。
- 信長を裏切った理由を考えるのが楽しい。
◆8位 黒田官兵衛
- 筑前(福岡)
- 1546-1604:享年59。
【ここが魅力】
- 大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公。
- 豊臣秀吉の家臣ナンバー2として天下取りに貢献。
- 難攻不落の城・備中高松城の水攻めが有名で、中国大返しを指揮した。
- 47回戦をして1度も敗れたことがない。
- やり方は敵を説得して降伏させ、兵を損失しないよう努めた。
- 本能寺の変で信長が討たれ時も、光秀に家臣が行かないように、信長は助かったと書状で伝えるべきと秀吉に提言。その甲斐あり、光秀は孤立。
- 頭が良すぎるため、秀吉は怯えた。
- 秀吉が警戒をしているの知り、とっとと隠居し如水という名に変えた。「水のような気持ちで野望も何もない」という意味。
◆7位 武田信玄
- 甲斐(山梨)
- 1521-1573:享年53。
【ここが魅力】
- 甲斐の虎と恐れられた猛将。信長でさえ敵にするのをためらった。
- 三方ヶ原の戦いで徳川家康に圧勝。家康はこの時の死の恐怖を生涯の教訓にしたと言われている。
- 陣中で病気を患い、53歳で死去。
- 侵略戦争を最後まで続けたことが凄い。
- 信玄は本拠地を動かない。信玄にとって1番大事だったのは甲斐の国。
- 信玄は土木王。地形を変えて山梨県を洪水から守った。それが「信玄堤」。石積出しは1~3番までは今でも見れる。
- 領民にとって信玄は素晴らしい武将。信玄が地元で愛されているのは、領民のために手を施したことが大きい。
- 信玄は温泉も大事にしていた。合戦で傷ついた将兵を湯に入れた。当時はそれが治療だった。
- 医者の中村哲氏は治療には「水」が大事ということで信玄堤を取り入れた。
- 信玄は自分の城は築城せず。
- 国造りをしっかり考えていた武将。
◆6位 豊臣秀吉
- 大阪(大阪)
- 1537-1598:享年62。
【ここが魅力】
- 織田信長に仕え、低い身分から成り上がり大出世した武将。
- 天下統一のキッカケは本能寺の変で信長が自害したこと。
- 明智光秀を倒し、たった8年で天下統一へ!
- 弟を活かす武将は、武田信玄と豊臣秀吉ぐらい。戦国時代では弟は1番のライバルになるため殺してしまう。器が大きく、人使いが上手かった。戦わずして勝つ戦法。駿府城から大量の金箔瓦が見つかった。それは財政的に豊かだと知らしめるのに大いに役立った。戦う意思を無くさせるのに効果があった。
- 信長の肖像画を描き換えた。元は派手な信長だったがそれを地味に描き換え、これからは秀吉の時代だと諸大名に思わせたのではないかと言われている。
- 豊臣の名を与え家族のように扱うことで、反逆を封じた。
- ワラジを温めるというエピソードは史料にはない。作り話。ただし、草履取りから武士になる話は戦国時代にあったため、モデルは秀吉かもしれない。
『戦国武将総選挙』5位~1位の戦国武将
◆5位 徳川家康
- 江戸(東京)
- 1543-1616:享年74。
【ここが魅力】
- 戦国時代終盤、静岡県を拠点に信長や秀吉としのぎを削る。
- 秀吉亡き後、関ヶ原の戦いで豊臣軍に勝利。江戸幕府を開く。
- 当時べちゃべちゃな湿地帯だった江戸を人の住める街にした。今の東京の礎を築いた武将。
- 260年も戦争のない時代を作ったというのは世界史でもそうそうないこと。
- 大阪城を拠点の西から攻め込まれないように、巨大な城を築城。秀吉は黄金で、家康はデカさで勝負した。
- 徳川家の子孫の方の話では「埋蔵金はない!」
◆4位 真田信繁(幸村)
- 上田(長野)
- 1567-1615:享年49。
【ここが魅力】
- 大河ドラマ「真田丸」の主人公。
- 大阪冬の陣出城「真田丸」で徳川軍に応戦。
- 大阪夏の陣では徳川家康をあと一歩まで追い詰める大活躍。「日本一の兵」と呼ばれる。
- 真田幸村が歴史に登場するのは大阪の陣のみ。史料は少ない。
- 死に花を咲かせる。自分の死処を求める、最後に徳川家康に一泡吹かせようと頑張ったのが幸村。
- 赤い甲冑で有名だが、子孫の家に残るのは黒い甲冑。赤いのは高価なため揃えるのは難しい。本来は黒で戦ったのではないかとのこと。
- 槍も十文字ではなく1本槍が子孫に残っている。こちらの方が殺傷能力が高い。
【選んだ理由】
- 勝ち目のない戦で己の力を示した。
- 滅びの美学を体現した。
◆3位 伊達政宗
- 仙台(宮城)
- 1567-1636:享年70。
【ここが魅力】
- 18歳で伊達家当主となり会津地方を中心に東北で勢力を拡大。
- 若き才能に目をかけられたのが天下統一目前だった豊臣秀吉。
- 「独眼竜」の異名を持つ武将。
- 武力が優れていただけではなく、敵陣にスパイを送り寝返り工作を行った。
- 慶長遣欧使節をヨーロッパに派遣し外交に力を入れていた。
- 伊達政宗は自己アピールの天才。自己プロデュース力を非常に大切にしている武将。
- お寺に黄金の部屋を作る。そこが瑞巌寺。金箔が貼られた障壁画がある。これは伊達家の力と権威をアピールするために作られた。
- 政宗は家臣にカモにされてはいけない、という教訓を障壁画に込めた。鷹に連れ去られる鴨の絵。
- 火頭窓という扉をつけて、後ろから後光が差すように、藩主の姿を光り輝くようにした。
- 黒の甲冑も自己アピールのため。黒の甲冑と派手な装飾で京の人を驚かせ、「伊達者」の語源になった。
- 食文化を日本へ。それがステーキ。当時はイノシシの肉くらいしかなかったため、クジラの肉を食材としてステーキを作った。
- 伊達家の正月料理は鮭子篭(さけこごもり)。
◆2位 上杉謙信
- 越後(新潟)
- 1530-1578:享年49。
【ここが魅力】
- 現在の新潟県、越後を治めていた。同時期に織田信長、武田信玄と共に時代を生きた武将。
- ライバル武田信玄と川中島で激突。12年で5度戦ったが決着つかず。
- 破竹の勢いだった織田軍を手取川の戦いで撃破。戦ってみたが信長は弱い、という感想。
- 戦いでほぼ負けなしの軍神。
- 部下の士気を高めるのがうまい。大将自ら敵陣に突っ込んでいった。危険が多いが家臣の士気が高まる。
- 部下を守るために武具を改良。車傘と呼ばれるクルクル回る頭にかぶる防具を作り、鉄砲攻撃に対抗。戦国最強とも言われる防具。
- 出陣前には豪華な食事をふるまった。戦国時代は一汁一菜だったが、豪華にし士気を高めた。
- 戦の勝利を祈願する儀式も行った。
- 謙信の言葉「第一義」。戦をするのは私利私欲のためではなく、人のため世のためを第一と考えよ。
- 義の精神が謙信の人気の秘密。
- 上杉謙信女性説は嘘!奥さんがいることが最近確認された。
◆1位 織田信長
- 尾張(愛知)
- 1534-1582:享年49。
【ここが魅力】
- 尾張の名もなき大名だった信は3000vs25,000で今川義元の大軍を撃破。
- 家康と同盟を組み、長篠の戦いでは最強武田軍団を撃破。
- 近畿、中部、北陸地方を撃破し天下統一目前で明智光秀に討たれる。
- 1年中戦える専業の武士集団を作った。
- 短気で残虐なイメージだが、変化を恐れない新しいもの好きという点が評価。
- 鉄砲を戦にいち早く取り入れ、鉄砲隊を編成。
- 城下町を繁栄させるため、自由に商売や取引ができる楽市・楽座を開始。
- 戦と政治の両方に革命を起こした武将。
- 安土城を築いた時、挨拶に来た家臣たちを自ら案内し、お金を徴収した。史料には1人100文(今の価値で1万円)。いわゆる入場料のようなもの。
- 安土城はライトアップさせて宣教師たちを楽しませた。お盆の時期、城下の家には灯篭を灯すのをやめさせ、安土城にだけ灯篭をかざりライトアップさせた。
- 来た人を楽しませようというおもてなしの精神、遊び心があった。
- 死の真相はいまだに謎に包まれている。
◆◇◆ ◆◇◆
さすがは第六天魔王、織田信長様!
みんな1位だと思ってましたよね。
好き嫌いは別にして、カリスマ性が圧倒的すぎます。
そして、戦に勝つ能力と、政治力、エンターテインメント力などがずば抜けているのが心を掴みます。
それよりも2位以下が意外で、順位が想像と違いました。
伊達政宗は人気があるので5位以内は絶対入ると思いましたけど、2位に上杉謙信がビックリ!
お館様の武田信玄が7位とは…。とほほ。
同じように、私利私欲よりも愛する国のために戦っている武将として、上杉謙信と武田信玄はその心意気もライバルでしたね。
真田幸村は大河ドラマもありますけど、ゲームでも主人公クラスなので若い世代の方にも印象がいいと思います。
豊臣秀吉や徳川家康は偉大なんですけど、ドラマチックでワクワクする感じが少し足りなかったのかもしれません。
家康は優等生なイメージですし、秀吉は人たらしは魅力的ですけど、晩年がちょっとイメージだだすべり感が凄い。
石田三成、黒田官兵衛が10位以内というのは、大河ドラマの影響でしょうか。
解説も含めて面白かったです。
ちなみに自分だと、真田幸村、武田信玄、織田信長、竹中半兵衛、伊達政宗かな。
やっぱりゲームの影響が強いです。
信長のカリスマ性には惹かれますけど、やっぱり人柄が大事(笑)。
竹中半兵衛が信長に付かなかったのは正解なんでしょうね。
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