2021年6月29日の『アメトーーク!』です。
今回は3時間SPでした。
その中のトークテーマ「元野球部芸人」です。
7月8日の『アメトーーク』では「元野球部芸人」の延長戦がありました。
▶アメトーーク 7月8日「元野球部芸人 延長戦」大悟vsティモンディ高岸の対決!大悟勝てるか?さらに野球部あるある - 今日も暇です。
中学、高校と6年間を野球部に捧げた芸人さんたちが集合です。
大悟さん曰く、中学で野球をしていて高校で野球部に入らない人たちとは一線を画す、とのこと。
6年間以上を通してこそ、というのが大悟さんの主張でした。
のちにわかりますけど、ティモンディ高岸さんはみんな仲間って言ってましたが(笑)。
皆さんの思い出の野球部時代です。
◆元野球部芸人
- 大悟(千鳥)
- バカリズム
- 南條庄助(すゑひろがりず)
- とにかく明るい安村
- 斉藤慎二(ジャングルポケット)
- 辻(ニッポンの社長)
- 前田裕太(ティモンディ)
- 高岸宏行(ティモンディ)
◆ゲスト
- 陣内智則
- 倉科カナ
▽目次です▽
- オープニング 野球に全てを捧げた学生時代
- 大悟の野球部時代
- バカリズムの野球部時代
- すゑひろがりず南條の野球部時代
- とにかく明るい安村の野球部時代
- ジャンポケ斉藤の野球部時代
- ニッポンの社長・辻の野球部時代
- ティモンディ前田の野球部時代
- ティモンディ高岸の野球部時代
- ティモンディが甲子園で始球式!
- 野球部思い出あるある
- これだけはウマかった
オープニング 野球に全てを捧げた学生時代
- 人生で1番努力したのが野球部時代、と大悟。「野球に全てを捧げた学生時代」
- 「大悟は不良だったのでは?」という蛍原の問いに、「野球に関してはちゃんとやってました」と大悟。
- 「元野球部」が意外と思われるのがバカリズム。中学・高校と野球で、高校では福岡の強豪校だった。
- 南條は小学から大学まで野球部。
- 陣内も元野球部だが中学まで。「高校までやる勇気がなかった」←「わかる」と蛍原も中学まで。
- 済美の野球部挨拶は独特!「おはようございます!よろしくお願いします!」←全く聞き取れず。
- 安村の高校も済美のようだったというが嘘くさいと言われる。
大悟の野球部時代
- 大悟は岡山県北木島出身。島では9人ギリギリで野球部だった。
- 大悟は中学時代はエースで4番!
- 自分より上手いヤツはいないと思って高校野球部へ入学⇒「わしより1番下手なのがいなかった…」
- その底辺からの出発だった大悟の高校野球部⇒高3でショートのレギュラーに!
- 大悟曰くレギュラーの取り方はいろいろある。⇒1秒でも遅くまでグラウンドにおるヤツがレギュラーに。監督は見ている。
- 大悟の島ではレフト側に海があったため、ボールが海に入らないように全員ライトに向かって打っていた。⇒サードにはボールが来ない。
バカリズムの野球部時代
- バカリはヤンキーの先輩に野球部に誘われ、断れなくてなんとなく入った。
- レギュラーになることはなかったので辞めてもよかった。でも野球部を辞めると辞めなかったヤツから下に見られる。⇒実際にバカリも辞めたヤツを下に見ていた。
- 高校ではやらなくてよかったが、高校で野球部に入らなかったヤツは下に見られる。
- 高校でもレギュラーにはなれず。でも辞めるのが嫌だったというバカリ。
- 高3年の夏までずっと補欠。最後の夏だけ出してもらえた。強豪校なので県予選の1~2回戦は正式メンバーは温存するため。
- バカリはそこで絶好調で打った。次の試合も出してもらえて、また打った。⇒最後の試合まで出続けてスタメンで終われた!「最後にスタメン入り!」
すゑひろがりず南條の野球部時代
- 南條は中学時代は地域では名門と言われている「堺ビッグボーイズ」に所属。←「済美の同級生にもいました」とティモンディ。
- 堺ビッグボーイズ出身の野球選手:LAドジャースの筒香選手、西武の森友哉選手など。
- 南條は堺ビッグボーイズの副キャプテンだった。⇒「声の大きさ&元気&真面目さ」で副キャプテンに。
- 高校は公立だったがすぐにレギュラーになった。
- 大学は男子が2割しかいなかった。野球部は14名だったが、マネージャーは7名いた。
- 中>高>大と規模が小さくなり、最後がハーレム状態だったという南條。
とにかく明るい安村の野球部時代
- 小学時代から。左投げのピッチャーで左投げは安村だけ。
- 5連投をして肩を痛めてしまった。
- そこから旭川の硬式ボールのチームに入り、推薦で高校に行った。⇒夏の甲子園ベスト16!
- 甲子園の土を踏み、甲子園の入場式の出ている。
ジャンポケ斉藤の野球部時代
- 斉藤も高1の時に甲子園に出場!⇒斉藤はスタンドで応援!
- 斉藤が声がデカくて応援していたら、応援団長に「俺たちの仕事を奪うな」と怒られた。
- 幼稚園の年長から野球をやっていた。
- 高校は千葉の強豪校。部員も100名。⇒斉藤はセンターを守っていたが、10人のセンターがいた。
- 3年間補欠。3年生の時にボールボーイに昇格。
- ファールボールだと思ってフェアボールを取ってしまったことがあり、監督に怒られた。
- 大悟は自分がレギュラーになれないとわかる。わかるのに3年間野球部を続けられるのはとんでもなくスゴイ、と褒める。⇒補欠なのに続ける精神力がスゴイ
- 斉藤は高校3年間の部活の方が苦しく、芸人でスベってもなんともない。←「それがアカンのよ」と大悟。
ニッポンの社長・辻の野球部時代
- 中学から野球を始めた。ルールがわからず。⇒頭で覚えても体が動かず。⇒それで中学全国制覇!
- 5番バッターだった辻。
- 弟は元プロ野球選手。元中日ドラゴンズの辻猛彦投手。
- 高校は京都で1番強い学校に入った。⇒そこからは伸び悩んだ。
ティモンディ前田の野球部時代
- 前田は中学時代ボーイズリーグに所属。神奈川県の選抜に選ばれたこともある。
- 当時軽く投げて130キロ出した。
- 高校は10校くらいスカウトが来た。東海大相模も!←「名前聞いただけでも震える」と大悟。
- 1番甲子園に行けそうなところを考える。神奈川は高校が多いため、高校数が少ない県を選んで済美高校へ。
- 前田の頃の準優勝が東海大相模だった。済美は甲子園出場を逃す…。
- 高校ではZETT測定というのがある。強豪校を何校か絞って、身体測定を行う。
- 前田はそのZETT測定で、高1と高2の時全国1位に!⇒プロの競輪チームからもスカウトが!
ティモンディ高岸の野球部時代
- 済美高校は体育祭も練習の一環。
- 高岸は軟式のクラブチームだった。
- 済美高校へ行きたい気持ちがあるが繋がりがなかった。
- たまたま隣で硬式のボーイズリーグの試合がやっていて、済美のスカウトが来ていた。⇒高岸はそこでノーヒットノーランを達成!⇒見事スカウトしてもらえた!
- 済美高校時代には、ヤクルトと阪神から声がかかった。
- 高岸は大学に行って、上位指名を受けてプロに入りたかった。
- 大学時代は自主的に毎日200球投げていたら肩が壊れた。⇒「それがあったから今みなさんに会えた!」とポジティブ高岸。
- 「僕らの話聞く時は一旦ティモンディの話忘れて」と大悟。
- 大悟たちが中学までで野球部を辞めた人を線引きしない!「みんながオンリーワンでナンバーワンです!」←「本物はバカにしないですよ」と苦笑いの大悟。
ティモンディが甲子園で始球式!
先日たまたまなんですけど、ティモンディ前田さんのツイートを見てました。
とうとう甲子園の土を踏みました。
— ティモンディ 前田裕太 (@TimonD_Maeda) 2021年6月20日
済美野球部7期生のみんな、やったよ。 pic.twitter.com/jAO1bjnX1J
そして、その始球式の動画がこれです。
夢が叶ってよかったですね。
なんだかとても嬉しかったです。
野球部思い出あるある
- 中学から高校に入ると、軟式から硬式になる。ボールの硬さに驚く。「石やん!」(大悟)
- 先輩のグローブに憧れた。⇒先輩があがった後にこっそり使ってみた⇒それをグラウンドに置き忘れ⇒寝ていた大悟は大雨で思い出す⇒自分1人では解決できないため、1年全員で相談⇒先輩のグローブを部室のレンジでチン!⇒真っピンクなグローブに!
- 先輩は気づいていただろうがそのまま使用していた。「いりえさん、あの時はすみませんでした!」と深々と頭を下げる大悟。
- むちゃくちゃ怖い先輩がいた。北斗の拳のラオウが好きでラオウになりきっていた。⇒喋り方も「うぬは…」と言う。
- その先輩が最後の試合で負けた時ラオウのセリフが出ると期待。「わが生涯に一片の悔いなし!」⇒ミーティングで号泣し「ありがとうな」だった。
- 中学1年の入ってすぐは球に触らせてもらえない。掛け声しろと言われる。それが「オーウェイ」。意味は聞けないのでそのまま「オーウェイ」と掛け声をしていた。⇒中2の時別の中学と練習試合をすると、その中学が「オーウェイウェイ」と掛け声。⇒カッコイイと思ったバカリの中学でも「オーウェイウェイ」が主流に。⇒中3で別な中学と練習試合。「オーウェイワァ~」だった。⇒それがカッコイイとなり「オーウェイワァ~」が主流に。
- 高校で目立とうとして「オーウェイワァ~」と叫んでいたら監督に呼ばれた⇒「どういう意味だ?」と問われるも、「オーウェイワァ~」の意味を考えたことがないバカリ。咄嗟に「元気出していこう」と言っていると答える。⇒「じゃあ『元気出して行こう』って言え」と言われた。⇒そこからは「元気出して行こう」となった。
- 前田の頃の済美は入部して1か月間は声だけ出す期間だった。河川敷でひたすら返事をしていた。⇒体の感覚で数える練習。「はい」を100回言え!⇒今でも500回まではどの数を言われても対応できる。
- 済美ではなくても精神統一をすることがある。大悟の高校は強くはなかったが3年最後の大会の直前1週間前は1時間の瞑想の時間を設けられた。⇒それでメンタルボロボロに⇒最後の夏の大会でショートで4エラー。
- 中学から高校に入るとサインがめっちゃ変わる。スクイズのなどのサインでは緊張してしまうとバレるので、常に自然に振舞える練習をした。(安村)
- ボール回し100球成功するまで終われない。⇒1年生の半分はイップスになる(辻)
- 全員が成功するまで終わらないノックもある(大悟)
- 雨で室内練習だと嬉しい(大悟)
- 部活の休みは年に3~4日。貴重(斉藤)
- 監督が来るとか来ないとかの情報を持っている部員がいる(辻)
- 監督の車の車種は未だに覚えている(大悟)⇒「わし今でもスズキのワゴンRを見ると『こわっ』と思う」と大悟。
- 済美はどんなことでもトレーニングにしたがる。(前田)⇒トンボのかけ方もトレーニング
- ドラフト会議の日はソワソワする。呼ばれるわけがないとわかっていても…(バカリ)
これだけはウマかった
- 大悟:ショートバウンド
- バカリ:背面キャッチ
- 高岸:バッティング(球速だけじゃない)
- 安村:サボり方。走っている風がウマかった。
◆稲村亜美と大悟の対決
- ピッチャー稲村亜美vs大悟⇒稲村が空振り三振で抑え、大悟負け
- 大悟が土下座しワンチャンで再チャレンジ⇒大悟レフトへ打つが怪しいポテンヒットに!⇒「俺の勝ちや!」
◆◇◆ ◆◇◆
めちゃくちゃ面白かったです。
やっぱり済美高校のティモンディは別格ですけど、他の方々も野球部を3年間続けるのは大変だったと思います。
練習厳しそうでしたし。
前田さんが東海大相模を蹴って済美高校へ進学し、結果東海大相模が甲子園に行けて準優勝だったというのがちょっと切なかったです。
でもそれも運命。
その流れで甲子園の始球式を思い出して、よかったなぁとしみじみ感じました。
夢は必ず叶うものではありませんが、一生懸命やっていた時間は絶対無駄じゃないと思っています。
野球に限りませんけど、苦しい練習に耐えたことは自信にも繋がっているでしょう。
そんなことを思いました。
この続きは「元野球部芸人」延長戦です。
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