2019年3月18日放送の『激レアさんを連れてきた。』のまとめです。
型破りすぎてワイドショーまで賑わせた美術教師、ノノムラさん(野々村直通さん)です。
激レアさんにしては、めちゃくちゃ短いタイトル!ちょっと見間違えたかと思いました(笑)。
別な説明では「型破りな方法で甲子園にバンバン出場する野球部を作った美術教師、ノノムラさん」とありました。
おお!野球かぁ、と思ったら聞いたことのある監督さんでした。
面白いエピソードがいっぱいなのに、感動がいっぱいでホロリとくる回でした。よかったー!
涙が止まらんよ(照)。
GReeeeNの「キセキ」が聴きたくなります!
◆ゲスト:岸優太さん(King & Prince)、千秋さん
▽目次です▽
- オープニングトーク 月曜夜から「土1010(どじゅうじゅう)」へ!
- ノノムラ先生の略歴
- 型破り美術教師・ノノムラ先生の誕生
- 型破りなヤンキー野球部監督・ノノムラ先生
- ノノムラ先生、カタオカ選手と運命の出会い
- 野球部のない高校に赴任するも甲子園出場!
- 型破りすぎて監督辞任に!
- 野球人生最後の花道を飾れたのは元生徒との絆
オープニングトーク 月曜夜から「土1010(どじゅうじゅう)」へ!
弘中 慣れ親しんだ月曜夜11時台の放送も残すところあと2回です!
若林 あら。そうすか…。ちょっと時間が早くなるんですもんね。
弘中 そうなんです。4月から土曜夜10時10分から放送となります。
若林 10時からこれやりますか。
弘中 うん。
若林 前歯が消しゴムだとかっつって、大丈夫かね~?
弘中 大丈夫だといいんですけどね。
若林 うーん。
弘中 月曜夜9時は「月9」というじゃないですか。今回この激レアさん「土1010」(どじゅうじゅう)と呼ばせていただきたいな、と。
若林 めちゃめちゃ語呂悪いじゃないの!
弘中 「土1010激レア」と覚えていただきたいなと!
若林 語呂悪いし、ダサいし…。
弘中 (笑)。
若林さんも心配ですよね。1時間繰り上げるだけでゴールデンタイムになっちゃうし。
世間の激レアさんファン、バラエティ番組ファンは「ゴールデン格下げ」説を継続しちゃうんじゃないかという不安があります。
ちょっと面白い方の激動人生がこの番組の素晴らしいところですからね。
頑張って欲しいです!
弘中ちゃんもインスタで大宣伝!
激レアさんの出来るまでを説明してくれてます。
いつか弘中ちゃんの激レアさん密着があれば面白いんじゃないでしょうか。
若林さん目線で。希望は若林さんですけど、ものすごく多忙だから、もしやるとすれば事務所の後輩かな?(笑)
ノノムラ先生の略歴
- 見た目はそっち系の強面。
- すでに退職されているが、れっきとした美術教師だった。
- ノノムラ先生の描く絵は温かみのある絵で、見た目とのギャップが凄い。
- 美術教師で野球部の監督をしていた珍しいケース。
- ノノムラ監督がワイドナショーを賑わせたのはある試合での言葉「末代までの恥」「死にたい」「腹を切りたい」
- 美術教師特有の奇抜な発想で野球部を甲子園に導いた。
⑤あー、あったあった!この先生なのか!!
千秋さんや若林さんも聞いたことがあると言ってました。
ここからの話は過激な部分があるとのこと!当時のお話ということで話を半分にして聞いて欲しいとのこと。話半分で聞いてっていうの、なかなかないですよね(笑)
型破り美術教師・ノノムラ先生の誕生
- 小さい頃から絵を描くのが好き。京都の西陣織の意匠画家の伯父の影響あり。
- 伯父に絵を見てもらうのが最高の楽しみだった。
- 高校では美術部に入部、大学は広島大学教育学部へ入学。
- 卒業後は広島県の高校の美術教師に。(22歳)
- 赴任の初日。先生方への自己紹介で「5年で甲子園行きます!」
- 広島には野球の強豪校があり、当時から広島での野球への興味がものすごかった。
- ノノムラさんが大学時代、野球部だった。キャプテンを務め、全国大会にも出場。
- しかし、先生方はノノムラ先生の意気込みに失笑。
- 学校がリアル「ビー・バップ・ハイスクール」だった。(ヤ〇キー)
- ノノムラ先生はピカノの言葉「いかなる創造活動も始めは破壊活動だ!」を体現していく。
- まずは格好から生徒を上回る:「角刈り、腹巻、下駄、グラサン」←注:40年前の話
- 美術教師なのに、学校の番長的存在となった。
⑨当時の写真が強烈でした。本当に不良な方々ばかりの生徒で、中には2年留年した20歳の生徒もいました。
「俺20歳になるから灰皿おいてくれ」って言うような感じだったそうです。その当時ならではのエピソードですね。確かに話半分にしないと(笑)。
⑪漫画みたいな先生ですよね。今じゃあり得ない!
ノノムラ先生曰く、生徒の上を行くような恰好をして「コイツは本筋だな」と思わせたかったのだそう。広島とかのそっち系の方々は怖いイメージですもんね。イメージです、イメージ!
破天荒なノノムラ先生の一例
- 授業中の出来事。
- パンチパーマをあててる生徒がその髪型にしている理由を聞く。
- 生徒の話では、パーマ液が気持ちがいいということ。
- ノノムラ先生は生徒の味方なので、そんなに気持ちいいなら校則を変えないといけない。
- そのために本当に気持ちいいのかを実証しないといけないため、理容室へ向かう。
- その間、生徒には自習をさせる。
- パンチパーマにして戻ってきたノノムラ先生は一言。「全然気持ちよくない!」
先生の本音としては、パーマ液がしみるのは気持ちよかったんだそう(笑)。でも先生という立場上認めるわけにはいかないので、「ダメ」としたと言ってました。
ノノムラ先生が帰ってくるを待っていた生徒たち。先生はそれが可愛かったそうです。
型破りなヤンキー野球部監督・ノノムラ先生
- 野球部は部員10人の弱小チーム。
- ノノムラ先生就任から1年後は8人に。
- 試合出るために、9人目は他の部活から生徒を借りていた。
- ノノムラ先生にルノワールの言葉が響く。「100の欠点をなくしている暇があれば、1つの長所を伸ばしたほうがいい」
- ノノムラ先生が目をつけた能力は「集中力」。徹底的に鍛えることにした。
- 強豪校と同じことはしたくなかったので、ノノムラ先生オリジナルの練習法を実践。
- やったことがない練習ばかりで新鮮で面白いと受け止められた。
- 破天荒な練習で、集中力・チームワーク・精神的なものが非常によくなり、試合にも勝っていった。
⑤ノノムラ先生の話では、当時の野球部部員は技術なし、体力なし、野球下手、さらに部員が1人足りないという状況でした。その中でアップできるのは「集中力」と思ったんだそう。
⑥弘中アナのフリップ登場ですけど、「効果は未知数 ノノムラ流型破り練習法」としてとりあげられてました。効果は未知数って…(笑)。
- 【集中力・打撃力アップ】教室パチンコバッティング:古い体操マットを教室の天井からぶら下げ、投げられたパチンコ玉を打つというもの。
- 【集中力・チームワークがアップ】徹夜野球:夕方4時~翌朝8時半まで練習。年2回休みの前日に行う。
- 【集中力・コンビ力がアップ】ヌーディス〇ノック:フリ〇ンノックのこと。
②はテレ朝なので、朝まで生野球として「朝球」と勝手に命名してました。
テーマは「みんなで朝焼けを見よう」。ノノムラ先生はこれをやった年の生徒のことは本当に思い出になっていると言ってました。この徹夜練習では技術的な進歩は全くなかったとのこと。自分たちは他がやっていない朝までの練習をやったんだ、という満足度が大事だったそうです。
③練習中に突然大雨が降り出した時に、ノノムラ先生はふと閃きます。セカンドとショートの選手だけ残して、先生も2人の部員もユニフォームを脱いでノックをするというものでした。大雨で半分やけになったテンションでの出来事です。先生だけはスライディングパンツまでは脱いだそうですけど、パ〇ツ脱がなかったそうですよ。
ノノムラ先生、カタオカ選手と運命の出会い
- 野球部監督3年目。
- 県内の中学にいい人材がいないか探す。
- 飛び抜けた身体能力、カタオカさんと出会う。
- ノノムラ先生の全身に電流が走るような衝撃だった、カタオカさん。
- カタオカさんはすでに強豪校へ行く決心が固まっていた。
- 諦めきれないノノムラ先生は両親の説得を試みるも「うちの子は甲子園に行って将来プロに入れたい!」
- ノノムラ先生は連日連夜朝4時まで両親にお酌しながら説得。
- この説得は、8月途中から2月中旬の願書提出まで続いた。
- ついにカタオカさんのお父さんから「息子の甲子園とプロ野球人生は諦めました」と言われる。
- その代わり、「人間育成をノノムラ先生の下でお願いします!」
- カタオカさんは投げては150km/h、打っては柵越え連発のまさに怪物でした。
- カタオカ選手に引っ張られ、チーム力も一気に上昇!
- 就任5年目。1978年に春の選抜高校野球に出場!
- カタオカ選手は高校卒業後、広島東洋カープにドラフト1位で入団!
- 甲子園出場も、プロ野球人生も達成された!
- 初の甲子園は初戦で敗退。
- 「5年で甲子園へ行く」は宣言通り達成!
⑦リーゼントで生徒の質が悪い、レベルが低い学校という評価で、野球は弱い、部員も10人いるかいないかで、しかも監督は無名。何の魅力もない、としっかり分析を語るノノムラ先生。
そこで唯一の利点はノノムラ先生の学校がカタオカさん宅の近くだったということ。
⑨⑩いつも尋ねるとお茶飲んで帰るという雰囲気だったが、この日はご両親が正座をして待っていてくださったとか。
「あなたには負けました。息子を預けます」とお父さんから言われました。この時は息子さんは嫌だったそうですけど、お父さんが説得するという話でした。
先生はすごく嬉しかったと話してましたが、なぜかこの話で僕は泣けてきちゃいました(笑)。
なんだろ。ノノムラ先生の熱意が番組から伝わったからかな。お父さんの「人間育成をノノムラ先生の下でお願いします!」という言葉が響きましたね。ノノムラ先生のお人柄に惚れ込んだということなんだと思います。
⑭⑮すごい前振り!
ご両親が諦めた甲子園とプロ野球人生を2つも達成できたのです。
カタオカさんのお話(現在は、お好み焼き・鉄板焼「かたおか」を経営)
◆カタオカ選手にとってのノノムラ監督とは?
- ノノムラ先生を一言で表すと:綺麗。自分のミスはちゃんと認めて謝れる人。清々しい。
- ノノムラ先生に誘られた時の本音:「一緒に甲子園に行こう!甲子園を想像してごらん」と言われた。最終的に先生の情熱に、この人に教えて貰えば甲子園に近づけるんじゃないかなと。
- ノノムラ先生の暴走:家に来るとタダ飯食って、タダ酒飲んで。家に泊まって学校に通ったこともある。迷惑ですよ。
◆ノノムラ事件簿
- 入学式:先生が見たらず。先輩に聞くと、酒の飲み過ぎで肝臓壊して入院していると言われた。高等な詐欺に遭ったと思った。←面白い(笑)
- キャプテンの選び方:どう考えても自分がキャプテン、4番、ピッチャーだと思ったが、キャプテンはヤマグチくんだった。ヤマグチパパがマイクロバスを野球部に寄贈した途端、キャプテンに就任した。
- 甲子園出場が決まると:全部員、全生徒、全保護者を含めて、出場停止になる可能性を生みだしそうな人は、ノノムラ先生のみ!
服装を改めるように言われて着てきたのが、白スーツに白のエナメル、薔薇柄のネクタイだったそうで、それを見て「甲子園はなくなった」と思ったと笑わせてくれたカタオカさん。
めちゃくちゃ面白いんですけど!楽しそうなお店ですね♪
そんな「かたおか」の店内には、ノノムラ先生の暴力団追放キャンペーンポスターが貼ってました。ノノムラ先生がそっち系に見えますけどね(笑)。
野球部のない高校に赴任するも甲子園出場!
- 広島県を去り、地元島根県の高校に赴任。
- 野球部がない高校だった。
- 赴任2年目。野球部を創設。
- ピカノの言葉。「大切なのは熱狂的な状況を作り出すこと」
- ノノムラ先生は頭の中で県内の有望な選手でドリームチームを作り、それを元に勧誘をした。
- 選手のポテンシャルは高いが品が悪い。
- 美しい心を育てるのに、神社を建立。その名も球心神社。御祭神は硬式ボール。
- 見事素行不良が解消された。
- 野球部創設6年目の1993年。夏の甲子園に出場!
②③野球部がないことがわかって赴任したノノムラ先生は、経営者を口説いて野球部を創設。
⑤これ、なかなかスゴイです。
甲子園にも行っているという実績はある先生なので、ギリやれそうな感じではありますけど、根拠がなくても自信家じゃないと無理そう。
さすがは我が道を行くノノムラ先生!、
⑥ここはさすが教育者の発言でした。。選手の能力は高くても、チームそのものの品格がなく、高い目標も持っていなかったそうです。
⑦神社って簡単に作れるの?
同じようにスタジオでも唖然!
生徒は素直に練習前に拝んでいたそうですよ。先生曰く、心の置き所を作りたかったとのことです。なるほど。
型破りすぎて監督辞任に!
- 甲子園出場を重ね、メディアも注目。
- ノノムラ先生は、魅せる野球を目指す。
- 甲子園の抽選会で監督全員が舞台に上がっての写真の時、ヨレヨレの恰好だった。屈辱だった。
- 来年はビシッとした格好でリベンジしてやる!
- 本当に連続で甲子園出場となり、最高のオシャレで会場に向かう。白ジャケットに黒のシャツ、サングラスというそれ系スタイル。
- 甲子園での監督の見せ場は、試合前の7分間ノック。(エアノック、ホームランノック)
- 2010年春の甲子園初戦に、勝てると思った相手に負けた。
- その時のコメントが「腹切りたい、死にたい、野球やめたい!末代までの恥」
- ワイドショーで取り上げられ、叩かれた。
- とうとう監督を辞任。1年間の謹慎。減俸。
③④監督とキャプテンが舞台に上がって写真を撮るということを知らなかったそうです。おそらくどうでもいい恰好で行ったんでしょう。それがあまりにも屈辱だったため、「来年も絶対にくるぞ!」と心に誓ったそうです。
⑤ノノムラ先生の型破りファッションは、着物姿になり、アウトレイジ全開になっていきます。
そして、ノノムラ先生が引退した翌年に、抽選会には監督はスーツ着用という暗黙のルールが作られたそうです(笑)。それまではノノムラ先生用のルールだったんですね。
⑥面白い!ノノムラ先生面白すぎ!!
エアノックは、ボールを使わずにスーパープレイをして見せるというもの。ホームランノックは監督がホームランを打ちたかったからというもの。観客にめちゃくちゃウケたそうですが、それぞれ注意を受け、禁止になりました。
⑧ノノムラ先生も「乱暴」だと反省。悔しさが出てしまい、相手チームのことを全然考えていないと言ってました。
本来は勝っても負けても真摯であらなければならず、相手を褒め称えないと品がないとされます。
野球人生最後の花道を飾れたのは元生徒との絆
- 野球人生に幕を閉じようと思っていたノノムラ先生。
- 元生徒が中心となって8000枚の監督復帰の署名が集まり、監督に。
- 残り1年の教員生活の最後に、甲子園に行くことができた。
- 「最後に花道を作ってくれた子どもたちに感謝」
◆◇◆ ◆◇◆
ラベリングは「脱ぐのはスライディングパンツまでの人」(激レアさん No.89)でした。
千秋さんに「なんでそんな軽くなっちゃうの?せっかくいい話聞いたのに!」とツッコんでました。
これが激レア流!
いやぁ、いい話でした!
面白くて破天荒な部分がクローズアップされてますけど、きっと深いドラマがあるんだろうなぁと思うと泣けてきました。
ちょうど「3年A組」で感動したのもありますし、かかっていた音楽がGReeeeNの「キセキ」だったので森田まさのり先生の『ROOKIES』も思い出してしまって、二重三重に胸に響きました。
千秋さんも岸さんもまだお話が聞きたいと言ってましたけど、もっともっとエピソードありそうですよね。
いつまでもお元気で。またテレビでお目にかかるを楽しみにしています!
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『激レアさんを連れてきた。』2019年3月11日 山田久貴 ADの味方 水曜日のダウンタウンもお世話に! - 今日も暇です。