2019年4月20日放送の『激レアさんを連れてきた。』のまとめです。
かつて絶大な人気を誇っていた幻の『女子プロ野球』で打率5割以上打っていた、ほぼイチローの人、ミネコさん(高坂峰子さん)です。
番組に登場した上品で可愛らしいおばあちゃま。
若林さんが弘中アナからのヒントなしで、どういう人かと尋ねられ「金沢に1,000回旅行した人」と答えてました。それはそれで、凄い激レアですけど、違います(笑)。
女イチロー選手か。
とてもそんな風には見えない、穏やかなおばあちゃまでした。
◆ゲスト:井森美幸さん、滝藤賢一さん
▽目次です▽
- ミネコさんはこんな人!
- 当時の女子プロ野球とミネコさん
- 幻の女子プロ野球の誕生
- プロ野球人生スタートと観客獲得大作戦!
- ぶっ飛んだファン獲得作戦 個人情報バラまき大作戦!
- パフォーマンスで観客を魅了 イチローの背面キャッチはミネコさんが元祖!?
- 残酷な運命が!
- チームメイトとも決別し結婚
- 52年後 奇跡の再会!
- 野球がしたい!
ミネコさんはこんな人!
- ミネコさんは現在85歳。
- およそ70年前の話。
- 幻の女子プロ野球が存在していた。
- ミネコさんは、その日本初の女子プロ野球界のスター選手だった。
- 実力は、毎試合4打席中3打席は出塁!
- 走・攻・守、三拍子揃った選手だった。
- 元祖イチロー!!
現在のミネコさんの野球姿を見せてくれました。
おばあちゃんとは思えない動きで、投げるのも距離があり、打てて、守備もちゃんと出来てました。
85歳ですからね。凄いと思います。
若林さんも「めちゃめちゃ信じたし、驚いた!」と言ってました。
当時の女子プロ野球とミネコさん
- 当時の女子プロ野球は、多い時で1万人の観客が入った。
- 昭和25年。全国各地でチーム発足。
- 最盛期には、20チーム以上が活躍していた。
- ミネコさんは大阪のチームに所属。女子プロ野球の人気を牽引した。
- 女子プロ野球は、わずか2年で消滅。
- 固定電話も各家庭にない時代だったため、チームメイトとも会えなくなってしまった。
- 50年以上経ったある日とんでもない奇跡が起こり、かつてのメンバーが再会した!
てっきり戦争で無くなったのかと思ったんですけど、戦後の話なんですね。
戦前だったら、年齢が合わないですね。失礼しました。
ミネコさんが美人なんですよ!
若林さんも「キャッチャーマスクを取って美人だったら、これはハマりますよね。グッとくるね!」と興味深々の様子でした。
でも、わかります!
こんな可愛い女子がプロ野球選手なんて。
それと、すごく気になるのがなんで消滅したかですよね。
幻の女子プロ野球の誕生
- 昭和20年代と言えば、聖徳太子は千円札だった。
- ミネコさんが人気選手だった理由:人懐っこい。尋常じゃないポジティブ思考。
- 昭和22年。ミネコさんが中学生の時。
- 運動をしたことがなかったが、ソフトボール部から勧誘を受ける。練習に参加。
- ミネコさんの才能が開花。豪打で4番、快投でエースに!
- 気がつけば、ソフトボールが楽しくて仕方がなかった。どんなに体調が悪くても試合に参加。
- 高校へ進学してもソフトボールを続けていた。
- 高2の時。「女子プロ野球創設 テスト生募集」を見つける。
- それを見て、プロ野球選手になりたい。
- ソフトボール部の大事な試合を休み、プロテストを受けに行く。
- プロテストが合格になると、高校を辞める。
- 所属していたソフトボール部は解散になってしまった。
◆大阪女子プロ野球の創設経緯
- 船具メーカー「山田産業」の社長が大の野球好き。
- すでに設立済みの東京の女子プロ野球チームと試合をさせたい。
- 個人出資で球団設立「大阪ダイヤモンド」
②ミネコさんご自身でも、かなりモテていたそう。
⑤ミネコさん曰く、自分でもびっくりするほど打てたそう。若林さんが一流の選手はみんなこう言うと言ってました。
⑥マウンド上で吐きながら投げる日もあったそうですけが、試合は休みたくなかったようです。
⑩~⑫自分のせいで廃部になってしまったのは、申し訳なかったとすまなそうに話をしてました。
ミネコさん頼みのチームでしたからね。
プロ野球人生スタートと観客獲得大作戦!
- プロテストの合格者は、400人中たったの16人。
- 昭和25年プロ野球生活がスタート。
- しかし、当時は宣伝する術がなく、人気は低迷。
- 人気獲得のために動くミネコさん。
- 真夏は東北→東京を移動しながら1ヵ月ずっと試合。
- この時にスポンサーが付き、ユニフォームが出来たが、ニットのセーターでノースリーブだった。
- この時期はユニフォームで体が熱くなりすぎて、バッティングにも影響。凡打ばかり。
- 大阪→徳島を半日かけて漁船で移動。たまにミネコさんも運転!
- 過酷な移動で、船酔いのためにボールが3つにも見えた。
- 遠征続きでチームは疲労が溜まっていたが、ミネコさんの打率は5割!
- 怪物ミネコ見たさに、観客も増えていった。
⑧免許などなく運転していたそう。
当時ならではのお話ですね。
ぶっ飛んだファン獲得作戦 個人情報バラまき大作戦!
- 自宅の住所を書いた名刺を客一人一人に配った。
- 本当に会いに行けるアイドルスタイルと取る。
- 今でもファンレターを大事に取ってある。
- 選手名鑑を配っていた。(見開きのチラシ)
- 地道なファン獲得作戦で、ミネコ親衛隊ができる。
- 米兵のミッキー氏が、ミネコさんの大ファンとなり試合のたびに基地を抜け出して観戦してくれた。
- ミッキー氏は進駐軍の車にバイクを載せて、大阪→東京まで移動し、観戦していた。
②当時は全然危険ではなかったそう。
直接来るのではなく、ハガキや手紙をくれるんだとか。
若林さん曰く、今の芸能界で自宅を公開しているのは春日くらいと言ってました。ミネコさんの意志を継承しているとも(笑)。確かに!
③ファンレターを保存しているミネコさんに、「俺と一緒だ」と言う若林さんに、弘中アナが「絶対嘘ですよね」とツッコんでました。「弘中ちゃん、絶対嘘はやめてよ」と苦笑いをする若林さんでした。
ちなみに、若林さんがファンからもらって印象深かったものは、手作りの時計だそうです。これは、「3、6、9のところが若林の顔。12時が春日の顔」になっていて、「おお!」と驚いたようです。
パフォーマンスで観客を魅了 イチローの背面キャッチはミネコさんが元祖!?
- 野球に目が肥えたファンが増えた来た。
- パフォーマンスで見せることもした。
- それがイチロー選手の代名詞、背面キャッチ。
- なんとイチローの50年以上前に、ミネコさんが会得していた技だった!
- イチロー選手に会った時に、その事実を言いたかったが言えなかった。
- スタジオでミネコさんが背面キャッチを披露!
⑤イチロー選手がどう思うか聞いてみたかったとのこと。
⑥スタジオでやって見せてくれました。
とても85歳とは思えない体の柔らかさです。ちゃんとキャッチしてましたから、若い頃の全盛期は本当にやっていたのでしょう。
残酷な運命が!
- 不動の人気を獲得していった女子プロ野球。
- ミネコさんもスター選手となっていった。
- 本当に野球が好きな人ばかりが集まっていたので、楽しかった。
- 家族のような濃密な生活を送っていたメンバー。
- 2年目のシーズンを終え、オフになった。
- 次の開幕はオーナーからの連絡待ちだった。
- しかし、年が明けて春になっても一向に連絡が来なかった。
- ミネコさんはオーナーに連絡。「全球団、資金面で苦しい」
- 女子プロ野球、解散!!!
⑧⑨ミネコさんの話では、1つ1つと消滅し、しまいには大阪にあった4球団が全部消えたとのこと。
一生懸命打ち込んできたので、非常に寂しかったというミネコさん。
チームメイトとも決別し結婚
- チームメイトに会えないことに気づいたミネコさん。
- 会えるのが当然だと思ってたため、住所の交換をしていなかった。
- 電話もなし、手紙も出せない状態だった。
- ミネコさんはその後結婚され、野球が出来なくなってしまった。
- 野球とは縁のない生活を送る。
- 女子プロ野球選手の過去は子どもにも秘密にしていた。
- 子どもは男の子だったため、キャッチボールをすることもあった。
④⑤夫から家庭に入って欲しいと言われたためでした。専業主婦が当たり前の時代ですから、仕方がなかったのかもしれません。
野球道具は押し入れにしまったいたそうです。野球を思い出さないようにするためでした。
52年後 奇跡の再会!
- 時は流れて、平成17年(2005年)。
- 当時ミネコさんは大阪市内で喫茶店を経営。
- 近所で火事が起こり、ミネコさんの店に野次馬が集まって来た。
- 昔使っていたボールを御守りとして店に置いていた。
- それを見つけた男性が、野球をやっていたのかと質問した。
- そこでミネコさんが秘めていた思いが溢れ、「昔女子プロ野球の選手だった」ことを告白。その時のことを話し出した。
- 男性は火事の取材で来ていた新聞記者だった。そのことを記事にしたいと申し出る。
- 野球のことを秘密にしていたミネコさん。取材を受けるか迷うが決断!
- 「記事に私の電話番号を載せて欲しい。52年前女子プロ野球選手だった人、連絡くださいと添えて欲しい」
- 読売新聞に掲載。翌日メンバー14人から連絡が来た。
- ミネコさんのお店で、52年ぶりに再会!
⑪ミネコさんは再会した時に、年月が経って年を取っていても、誰なのかすぐにわかったと話されてました。
みんな忘れていなかったとも。
最初から再会するのはわかってましたけど、いざ話を聞くと感動してしまいました。
52年会うことを諦めていたチームメイトとの再会。嬉しかったでしょう。
野球がしたい!
- 再会時には口に出さなかったが、みんな野球がしたかった。
- 平均年齢は70歳。
- この記事がキッカケで、「オリックスvsソフトバンク戦の始球式」のオファーがきた。
- 昔のチームメイトも一緒でいいかと、お願いをする。
- ユニフォームに袖を通して、14人が集合。仰木監督と記念写真も!
- これを機に野球をやろうと決意。
- 再び野球チームを結成。ミネコさんは72歳。
- 再結成後は、13年に渡り毎月試合を行っている。チーム名は「シルバーシスターズ」
ラベリングは「元祖イチローの人」(激レアさん No.91)でした。
このラベリングに、ミネコさんがとても嬉しそうに「ありがとうございます」と言ってました。
85歳でも、あんなに機敏に動けるんですね。
いつまでもお元気で、大好きな野球を楽しんで欲しいと思います。
いい話でした!
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